父がアメリカに滞在中
ボランティア関連で知り合った友人たちと
父の歓迎パーティを開きました
羽振りのよい時を経て ギャンブルの借金で全てを失ってから
孤独の生活で、寂しがりやだった父は
大勢の人に囲まれ
ましてやアメリカ人とパーティなど生まれて初めて
温かく歓迎され
こんな俺によくしてくださって・・と、
戸惑いつつも
皆さんのおかげで素晴らしい時間を過ごしました。
帰国の日、父は
「お前ががんばっている姿をみれて良かった
すぐには変われないけど・・
これから俺ももっと変わる努力をしてみるよ」
と言い
既に違うひとのような慎み深い顔つきになって
日本へ帰っていきました
娘が2歳のころ
再び父をサンフランシスコに呼び寄せました。
父は一生懸命に孫のパトリシアを可愛がってくれ
甲斐甲斐しく面倒をみてくれました
ある朝、主人マシューがフロアにしゃがみこみ
幼い娘を椅子に座らせて靴を履かせていたのを
黙ってじっとみていた父は
マシューさんに、と近所で小さいストゥールを買ってきました
体の大きいマシューは、フロアにしゃがんで娘に靴を履かせる姿勢が
実は苦しかったようで
そのストゥールに座ると ちょうどいい高さになり
娘に靴を履かせるのが楽になった様子でした
お父さん・・よく見ていてくれてるんだね・・・
とマシューは感激していました
彼は今でも お父さんのストゥール、と呼んでそれを大事に使っています
こんな感じの小さい台の椅子です 画像はグーグルから拝借
そんなふうに家族を想い、変わろうと努力している父のために
家族がいつかそろって仲良くできることを
わたしは願っていましたが
兄がわたしたちに近寄ることは決してありませんでした
姉は
「お父さんと仲良くするのはふゅこの勝手だけど
わたしたちまで巻き込まないでね!
あの人と一秒でも同じ空気吸いたくないから」
と拒否の姿勢を崩しませんでしたが
そう言いつつも わたしが娘を連れて日本へ帰国すると
わたしたち会いにくる為に
渋々、父同席の食事にも付き合ってくれました。
常に父とは距離を置いていましたが。
そんなある時、父が脳梗塞で倒れ救急車で運ばれ
左半身が不随になりました。
日本で撮った満開のつつじ