海外逃亡計画 | 光と波動と音楽と ふゆこのサンフランシスコ日記

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日常を綴るアラフィフ在米日記です。

 

 

 

 

父と連絡をとるようになっても

やはり父のことは好きになれませんでした

 

 

父は寂しがりやで

酔っぱらって長電話してきて

あれこれ愚痴を言うのです

そして後日はその内容を覚えていません

大迷惑です

 

 

 

 

うんざりしていたわたしは

父から逃れたい気持ちもあり

なにもかも、全てから解放されたくて

アメリカ人と結婚し海外への移住を決めました

(ごめんよマシュー)

 

 

 

わたしは自分の結婚について父には報告しませんでした。

 

 

 

姉が結婚する際に

相手の方が父に挨拶に行ったとき

父が相手の男性を殴ったと聞いて

 

 

 

父は何をしでかすか分からない

絶対にマシューに会わせるなんて無理

アメリカ人と知ったらマシューもきっと殴られる

 

 

 

そう思ったわたしは

父には何もいわず結婚してアメリカに移住するつもりでした

 

海外逃亡計画です

 

 

 

ところが

母が、行きつけの美容院でわたしの結婚話をしたらしく

それを聞いた美容師さんが

後日、父の妹 わたしの叔母がカットにきた際に

気を利かせて おめでとうございます、と話してしまい

びっくりした叔母はわたしの父に報告

 

 

バレてしまいました

 

 

ある日家に帰ると

鬼の形相の父が うちにいました

 

 

 

俺を馬鹿にしてるのか!

と激怒して

 

父の怒りはおさまらず

「ふゆがこんな風に育ったのはお前のせいだ

俺を馬鹿にしてやって

殺してやる!」

 

と母をマンションのベランダから突き落とそうと

小さい母をつかみました

 

 

 

 

わたしは昔 父が母に暴力をふるった時に

助けてあげられなかったトラウマを思い出し

今度こそわたしが助けれなければ、と慌てて

 

 

「お母さんに手をかけたらわたしがお前を殺す!」と

生まれて初めて父につかみかかり父を止めました

 

 

父はわたしがそんな言葉を父に言うなど想像もしなかったのでしょう

ひどく驚き狼狽して座り込みました

わたしも、いくら嫌っていてもそんな酷い言葉を 

自分の父に言うなんて

 

とっさに出た言葉だとしても

 

 

わたしは最低だ

胸が張り裂けそうでした

そのあと どうなったのかは記憶にありません

 

 

 

 

 

 

さて

そんな騒動があっても わたしの意思は変わらず

父を結婚式には呼ばず

母や姉家族だけ参列してもらい

アメリカで小さな式をあげました
 

 

 

これでわたしは父から解放され

自由に新天地で暮らしていけるはずでした

 

 

 

               そうは問屋が卸さない。。