どうせお墓で泣くならば | 光と波動と音楽と ふゆこのサンフランシスコ日記

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日常を綴るアラフィフ在米日記です。

 

 

 

 

 

わたしが二十歳のころには

父が賭け事で作った借金で

母とわたしが住んでいたマンションが

抵当に入れられ

最終的にそこを手放し出て行くことになりました。

 

 

 

そのマンションは母方の祖母がわたしたちのために購入してくれた家でした。

 

 

 

なのに、離婚していても父に頼まれると

なにか事件を起こされるのを怖れた母は見放すことができず

父の借金の保証人になっていました

 

 

 

その借金返済を手伝うため

わたしはかけもちで夜もアルバイトをしました

 

 

その頃にはもう父に会う事もなく絶縁状態で

どこまで迷惑をかけられるのだろう、というのが本音

兄も姉も同じ、とっくに父とは絶縁していました。

 

 

チューリップピンク

 

 

ギャンブルで大きな借金を抱えた父は

自営業だった仕事も失い

お酒におぼれ

しばらくして肝硬変になったと聞きました

 

 

 

その頃から父がわたしたち子どもに会いたい、と言ってきました

何をいまさら・・

誰も父を相手にしませんでした

 

 

チューリップ黄

 

 

 

肝硬変・・・アルコールの過剰摂取による肝炎

 

 

なるほど。父は肝硬変で死ぬんだな・・・

とわたしは冷静に考えました。

 

 

全てを失って子供全員から絶縁されて

父は孤独に亡くなっていくのだろう 

 

 

 

そして、いつか自分は 父のお墓に行って

逝去した父に 

 

 

お父さんが許せなかったんだ

会いたいと言われても無視してごめん

人生の最後まで寂しい思いをさせてごめん

 

 

 

と語りかけて

生前に許さなかったことを後悔するんだろうな・・・

 

 

 

そんな風に想像できました。

 

 

 

兄や姉はキッパリ父を切り捨て、断固拒絶していましたが

わたしは家族の中で一番単純で甘い末っ子です

 

 

 

いつか父が亡くなってから許すなら

どうせお墓で泣くならば

同じことじゃないか

 

 

父が生きているうちに 許そう。

 

 

わたしはそう考えて、きょうだいの中でひとりだけ

嫌々ながらも父とたまに連絡をとるようになりました

 

 

 

 

              金木犀がだいすきです♡