沖縄民謡名選集1 ~ 前原淳子 / 島めぐり
沖縄本島をドライブするのに二つのコースがある。
本島は、南北に長い島だ。 ゆえに、西海岸沿いを行く西廻い。これは、58号線(ゴッパチ)だ。
基本的に道もよく、特に海を見ながら、または基地を見ながらとなるとこっちのコースになる。
交通量も多く、那覇・牧港・北谷とショッピングスポットも多い。
もう一つは、331号線と329号線を使った東海岸を昇る東廻いだ。
正直、海はあまり拝めない。特にスポットと呼べる所も無い。
前半は、埋立地ばかりで、後半の金武辺りは、赤土に染まった海を確認できる、あまりお勧めできないコースだ(苦笑)。
島めぐりは、なぜか糸満を起点に東廻いを訪ね歩く歌だ。
前原淳子のティダカンパニー辺りと共通の可愛らしい歌声も素晴らしく、また、作曲者の知名定男のセンスだろうか、太鼓他のリズム隊も面白い一時期、沢山作られた観光ソングだ。
ただ、観光ソングと言ってもナイチャー向けの歌ではない。
うちなんちゅによるうちなーの為の観光ソングなのだ。
喜納昌吉は、沖縄は、大陸だと表現していた。
国と表現しても良いだろう。 現代では、地域色に差があまり無くなってきたとはいえ、沖縄では、市町村毎に方言が違うどころか、部落(シマ)毎に違う。
交通の無い時代には部落間の競争意識なんかは、凄い物があった。
今でも、隣りの部落だけには負けたくないと思っているうちなんちゅも多いと思う。
故に部落毎に同じ豊年祭でも出し物や形態が違ったりして、様々な芸能の発展の一因になったりもしている。
島めぐりで唄われる地域をざっと見てみる。
糸満は、さすが海人の町で、糸満ハーリー。爬龍船での部落対抗での競争を。
与那原は、一時期に比べて最近また、隆盛を誇ってきた大綱引きを。那覇大綱引きを取り上げてない所がミソだ。
中城は、昔護佐丸の居城・今世界遺産の中城城(本当は、中の城で中城なのに、バカな行政は、中城の城と二重表記するのを一般化させてしまった。変だと思わないのか!)の眺めの美しさを。
具志川(うるま市なんて地域の色の無い地名にしたのはなぜ?)は、名所が無いのか(笑)、情所・遊び所として唄われている。
名護で、なぜか、西海岸の七曲(長いくねくね道の事)と名護城を。
で、最後に沖縄を造った神様、アマミキョの島として浜比嘉を取り上げている。
島めぐりは、離島巡りの歌でなく、地域(シマ)巡りの歌なのである。
糸満から東海岸を昇り、歌の通りにドライブを楽しむのも一興だ。
- アーティスト: オムニバス
- タイトル: 沖縄民謡名選集(1)
沖縄民謡名選集1 ~ 砂辺民謡グループ / 砂辺の浜
今の沖縄、一昔前の島唄で唄われた光景・景色が、もう無くなってしまったと言う事が多い。
埋め立てとリゾート開発の為に海岸線の風景は、特に一変してしまった。
元からある自然のビーチをわざわざ、埋め立てて人口ビーチを造る意味とは何だろう。
土木業界の為のものでしか無いような気がする。
今、コザの泡瀬海岸の埋め立てが進んでいる。僕は、5年程前に警備の仕事をしていた時に泡瀬埋め立て賛成の署名を求められた。小さな土木業者の監督からだ。
生活の為に必死であり、埋め立てが決まらないと次の仕事が無いという逼迫した状況なのだ。
沖縄の風景が変わるというのは、必然になってしまっている・・
砂辺の浜で唄われている北谷海岸は美しい。
今では、埋め立てられた防波堤際に沢山の飲食店やダイビングショップが並ぶ砂辺も、少し中に入れば、かつての堤跡・亀甲墓・隆起した丘陵等、昔の風情を偲ばせるものを発見する事が出来る。
何か、矛盾しているが、僕も砂辺ではよく遊んだ。
海岸倉庫でアメリカーのビールを買い込み、防波堤際の歩道で平気でバーベキューをしたり(笑)、昼に行けば、タイのカレー食い放題の店、夜なら浜そばで食事した。
また、わずかに残るリーフで釣りをし、貝を採り食べた。 何か、たべてばかりだな(笑)
砂辺はまだ海が綺麗な方で、潮の流れが速いおかげなのだろう。
埋め立て当時、壊滅したサンゴは復活の兆しをみせている。おかげで内地からダイバーが、よく訪れるポイントになっている。
それでも失われたものは、大きい。
浜風と共に
さざ波の踊り
千鳥の声響き
浜ぬ彩
3番の歌詞を琉歌にしてみた。
リーフ際に降り立ち、片足でじっと佇む千鳥達。
これだけは、今も変わらぬ沖縄の風景である。
4番の歌詞は、恋し砂辺浜で閉められている。
この歌が出来た時には、砂辺にビーチは無くなっていた事がわかる。
切ない望郷の歌なのだ。
砂辺という地名から、想像することはたやすい。
だからこそ、想像の世界でいい。
砂辺で遊びつつも、ふとかつての姿を思って欲しいのだ。
- アーティスト: オムニバス
- タイトル: 沖縄民謡名選集(1)
沖縄民謡名選集1 ~ 前川朝昭 / 兄弟小節
先頃、与那原町東浜に前川朝昭の唄う兄弟小節の歌碑が、建立された。
なぜ、東浜なのだろう。
東浜は、先頃に造成の完成した埋立地である。
東浜の名の通り、元はビーチであり、南部随一のウィンドサーフィンのメッカであり、又、大型のウジュルの釣れる打ち込みのポイントであった。
かつての僕の遊び場は、今、ヘドロに埋もれている。
与那原に生まれ、愛し、与那原小唄のヒットを持つ前川の歌碑だ。材木加工の伝統が今尚生き、町の中心を幾世紀も担ってきた字与那原の方が、僕には良かったのではと思っている。
歌碑を建てるにふさわしい大木の茂る場所も知っている。
行逢ゃりば兄弟
何隔てぃぬあが
語り遊ば
兄弟小節のサビの歌詞である。
どんな人でも出会えば、兄弟みたいなものだ。
何の遠慮がいろうか。さあ、語り遊ぼうではないか。
この一節は、沖縄では、黄金言葉(箴言)として有名だ。黄金言葉が先か、前川朝昭の唄が先かはわからない。
だが、僕も沖縄の居酒屋等で、しらんちゅー同士で酒を飲んだことは、一度や二度ではない。
うちなんちゅーの人なつっこさが出ている言葉なのである。
しかし、この言葉、最近では、行政が観光アピールに使ったり、又、反戦運動家が、沖縄の平和への願いが出ているとばかりに使ったりしている。
僕には、どちらも本質からずれている様に感じられるのだが・・
前川の唄は、高音の響くいわゆる女声(いなぐくい)だろう。女声で有名な上原正吉が、彼の弟子だと言うことは、上原も前川の影響を大きく受けているに違いない。
前川の唄を聴くと、行逢ゃりば兄弟とは、共に寂しい者同士、大いに昔を懐かしみ語ろうではないかと励ましの唄に聞こえる。 もっとも僕の解釈に過ぎないが。
同士、連帯の意味を持つ者だからこそ、初対面でも兄弟であり、友達であると歌詞からは感じられるのだ。
僕は、5番の歌詞が好きだ。
互に注ち交わす
玉ぬ杯に
昔思無蔵ぬ
姿うつし
思無蔵は、恋人のことで、新しき友と交わした杯に写るかつての恋人の姿。
何と詞的な場面なのだろう。
ここには、失恋した男のロマンがある(涙)
- アーティスト: 民謡, 宮城チドリ, 我如古より子, 前川朝昭グループ, 吉里和美, 喜納昌永グループ, 徳比嘉政治, 徳比嘉清子
- タイトル: チュラ沖縄
アーティスト: オムニバス - タイトル: 沖縄民謡名選集(1)
沖縄民謡名選集1 ~ 田場盛信 / 島の女
今回も沖縄民謡名選集1からの紹介。
でも田場盛信・・・もちろん、名前はずっと知ってたんだけど、詳細不明。
島の女も知っていたが、あまり心に響かないような(苦笑)
島の女(ひと)は、もちろんヒット曲なのだが、七語調の大和言葉で唄われている。
沖縄民謡の琉歌の奥ゆかしさと比べると、大和言葉は、直接的だ。
曲自体は、カラオケ受けしそうないかにもな沖縄メロディーで悪くないのだが、大和言葉で
誰を恨むか このさだめ
とか
今はむなしく過ぎた日の
とか、やられると全く演歌の世界になってしまうのだ。
どうも僕には苦手である。
この手の沖縄民謡?の需要ってどれだけあったのだろう?
田場盛信の旧譜が、ンナルフォンレコードから復刻されている。
泣かんきよーと言うタイトルだが、僕には解る曲が無い。
何と言うか、今回の僕はヘロヘロだな(笑)
勉強不足です。すみません。
田場盛信は、まるみなーと言うカフェで女性ばかり集めてライブしたり、モテるみたいだ。
MODSで7月にライブをやる告知をみつけた。
中々、精力的である。
MOD'S・・・北谷に移転したのか。
今となっては、コザで唯一、動員の見込める安定したライブハウスだったのに(涙)
マンハッタンも無くなったらしい。
コザの再開発の為らしいのだが、僕には疑問。
まあ、一時的に客は戻るだろうが、中部で又、新しいスポットが出来たらすぐに人は去って行くだろう。
ハコより、ソフト重視でやって欲しいものだが。
田場盛信ファンの方には、申し訳ない。
勉強して、再度出直します(苦笑)
- アーティスト: 田場盛信
- タイトル: 泣かんきよー
照屋林助 / 年中行事口説
この所、沖縄音楽初心者向けに思う処あって沖縄民謡名選集1の曲を紹介していたが、今回は別の関係ないものを紹介する。
照屋林助(以下、てるりん)は、50~60年代にワタブーショーと言う音楽喜劇集団を旗揚げし、一世を風靡した沖縄民謡界の大御所だ。
島太鼓の名手でもあり、多くの録音に参加もしている。
今年の3月に癌で亡くなられたのは残念である。
僕は、内地に来て図書館にあったてるりん自伝を読んだ事がある。
恐ろしい程のページ数で、途中飛ばしてよんだものだ(苦笑)
僕は、お笑いのてるりんよりも島唄の生き字引としてのてるりんを尊敬している。
正直、平成ワタブーショー等を聞いてみた事はあるが、今一だった。が、彼がテレビやラジオに出演した折に必ず、島唄のうんちく話をするのには感心したものだ。
古典が、明治後にどういう経緯で今の民謡になったのか、又、民謡の歌詞にある昔言葉の意味は何か、また、大和口の何と言う言葉にあてはまり、どう変化したのか等、僕の興味に明快な答えをあたえてくれたのだ。
今回の年中行事口説は、マルタカから出たてるりんのデビュー曲だ。
彼のポップエッセンスが存分に発揮されており、また、昨今の沖縄ポップスの先駆けのような音を聞かせてくれている。
僕は、サーフロックの大ファンで、50年代のギターサウンドが好きでたまらない。例えば、ウルトラマンの主題歌のバックでリフを奏でているギターの音なんかにひどく萌えてしまうのだ。
年中行事口説は、赤田首里殿地の替え歌なのだが、バックの音に萌えてしまう。
三線の音な無く、かつてのサーファリーズやホンデルスあたりのサーフガレージバンドを彷彿とさせるギターの音とベース音のみでの演奏なのだ。
僕は、沖縄の58号線(ごっぱち)をドライブする時、特に山原(僕は、読谷の沖ハム工場以北をそう呼ぶ)以北で聴く音楽は、サーフロックが1番だと思っている。
サザンやスタレビあたりが1番と言う友小達をバカにしてた位だ(苦笑)
とにかく、この唄のバックの音は最高なのだ!
で、歌詞の方は、タイトル通りに沖縄の清明・トーカチ・ハーリー等の行事の羅列に過ぎないのだが、さすがはてるりん、沖縄は守礼の国と呼ばれているのだから、少しは心得ておきなさい。と有難い教訓も唄っている。
今、改めて年中行事口説を聞いてみた。
なんか、マーティン・デニーも入っているかなと感じてしまった。
てるりんのセンスに脱帽だ。
今回の曲は、最近出たオムニバスに収録されている。
今は幻のマルタカレコードの復刻音源だ。
知名定男のデビュー曲も収録の一品だ。
- アーティスト: オムニバス, 照屋林助, 前川朝昭, 山内昌徳, 船越キヨ, 嘉手苅林昌, 知名定男, 登川誠仁
- タイトル: ベスト・オブ・丸高
沖縄民謡名選集1 ~ 本竹裕助+津波洋子 / 十九の春
この唄十九の春の歴史はややこしい。
元は、内地の民謡なのだ。だからこそ、大和口の歌詞がメロにあう。
最初の元歌は、筑紫炭鉱で唄われたラッパ節。 これが、奄美出身者の手により与論に渡り、与論ラッパ節になる。 これを戦前頃に大村隆二が現地にて採集、全国に紹介されたが、沖縄では又、形を変えて与論小唄(尾類小小唄)、として普及した。
戦後、元唄の与論ラッパ節を津波恒徳がカバー。それを聞いた本竹裕助が、詞を大和口に改訂。津波恒徳の娘津波洋子とデュエットして再度、沖縄で大ヒットさせた。
が、これを又、田端義男が内地で発表し、ヒットさせている。
一時期は十九の春は、田端義男の唄のが有名であった。
十九の春は、沖縄出身者にとって長い間、カラオケで歌える唯一の沖縄民謡だった。
現在、通信カラオケの普及により、民謡からロックまでカラオケで唄える状況からは考えられない位である。
もっともレーザーディスクやカセット時代の十九の春は、田端義男名義になっていたのだが(苦笑)
この唄は、不倫の恋を切なく唄った曲だ。
本妻を持つ男に惚れたばかりに後悔しつつも、男を忘れられない思いが籠っている。
主さん、主さんと呼んだとて
主さんにゃ立派な方がいる
これは、4番の歌詞の前半なのだが、主人公の女性にとって男は、奉公先のご主人様なのだ(笑)
つまり、男の側からすれば、この女性を愛していたと言うより、手を出して囲っていたのだ。
そりゃ2番の歌詞で男が無責任な例え話をする訳である(笑)
この 十九の春での本竹裕助も津波洋子も唄に味がありすぎだ(笑)
ひしゃげた声を更に掠れさせたような唄いっぷりは、中ノ町や桜坂あたりの飲み屋街の雰囲気にあっているというか、はまって聞こえる。
僕は、この唄を聞くと、桜坂のおでん屋のてびちに付いてきていたウンチェーを思い出すのだ(笑)
内地にいる今でもたまにてびちを作ってたべるのだが、ウンチェーのないてびちは、シマヤだしの素をいれってない豆腐チャンプルーと同じだ!(爆)
ところで、映画ナビィの恋で嘉手苅林昌はこの唄の2番の最後の十九にするのも安けれどの所を
焼いた魚が泳ぎだすと唄っていた。 彼らしいユーモアなのだが、なぜかディアマンテスの十九の春のカバーでもその様に唄われている。
もうそういう歌詞になってしまったのか?
誰か、詳細を求む(笑)
田端義夫のCDシングルをみつけた。 - 興味ある方はどうぞ。
- アーティスト: 田端義夫
- タイトル: 梅と兵隊/十九の春
- アーティスト: オムニバス
- タイトル: 沖縄民謡名選集(1)
沖縄民謡名選集1 ~ 仲本昭盛+浦崎康子 / 二見情話
今回、二見情話について調べてみて、この歌が沖縄戦後に二見にあった捕虜収容所の所長さんが、首里に帰るにあたって、世話になった二見の人々の為に作ったのだと初めて知った。
僕が、それで合点がいったのは、この唄が名護市民にひどく愛されている歌だからだ。
毎年、一月の名護桜祭りで二見情話大会なんて市民参加のコンテストまであるのは、知っていたので、なるほど関心してしまった。
歌の背景は、奥深いものである。
でも何で、演歌みたいな曲をつけたのだろう。
マイナー調で唄われるこの歌は、酷く悲しく聞こえる。 沖縄音階を使わない故に醸し出される雰囲気は、この歌の主題通り、惜別の哀れを表現しつくしているのだ。
詞事態は、悪いが沖縄民謡では普通に見られる情唄なので、逆に沖縄的でないメロが情感を煽り、この曲を名曲にしてしまっている。
二見情話は、戦後の唄だが、王朝時代や昭和初期くらいの時代の男女の別れみたいな雰囲気がある。
二見の女性の美しさ、海山の美しさは決して他所にはないものだ。
ついに首里に帰れる日がやってきたが、旅立ちの時は、辛い別れの時だ。
行くよ 行ってらっしゃいと交わした言葉が、いつまでも心に残っている。
歌詞をざっと訳してみた。 僕はこの唄を八重山民謡によく見られる琉球王朝の役人と現地妻の別れの歌とおもっていた。認識不足で 情けないものだ(苦笑)
この唄を聴くと僕は、別れた妻が出て行く時に言ったありがとうの言葉を思い出してしまう(泣笑い)
最後に交わした言葉は、シンプルそのままだった。
人生、こんなものなんだろう(涙)
今回、この唄が何故名護で愛されているかが解って、ますます好きになった。
二見情話は、情唄によくある男女の掛け合いの形を取っている。
歌詞には無い情感が、きっと聴く人にも届くに違いない。
ああ、なんていい唄なんだと納得いった僕でした(笑)
カラオケのCDを見つけた。
これで、熱唱してみて欲しい(笑)
- アーティスト: 音声多重カラオケ
- タイトル: 二見情話
- アーティスト: オムニバス
- タイトル: 沖縄民謡名選集(1)
沖縄民謡名選集1~ 前川守賢 / かなさんどー
以前にも書いたが、かなさ(可愛さ)と言う方言は、僕の耳に痛い言葉だ(苦笑)
忘んなよーや
忘んなよ
我ね想とぅんどー
可愛さんどー
前川守賢(以下、元ちゃん)22歳の1982年に発表されたオリジナルのラブソングである。
琉歌のような定型詞を使わず、あまりにストレート過ぎるラブソングは、当時では珍しかったらしい。
男は女次第、女も男次第。
他人に二人の事などは分からないものだ。
この浮世を手を取り、進もうではないか。
美しい花は散るものだ
しかし、二人で咲かす花もある
例え嵐がこようとも
互いに愛し合いつつ行こうではないか
歌詞の意訳なのだが、これから夫婦になろうというカップルの彼氏から彼女へのラブコールになっている。
夫婦とは、二つの道を一本にまとめる作業だ。
お互いの進路を同じにして、汗はい水はいして進むのだ。
その二人が互いにかながなさーする姿は、人知れず美しいものに違いない。
元ちゃんは、他にも遊び庭等のヒット曲を持ち、又、父守康も民謡界にいた所から次代の沖縄民謡を背負わねばならない立場にいる人だ。
現状、テレビ・ラジオの民謡番組は勿論のこと、そのキャラから来るのかCMでも大人気を誇っている。
島酒の残波や居酒屋北大地のCMは有名だし、そのCMソングも手掛けることが多い。
僕は、豊見城そばで彼を見かけた事がある。定期的にそのような常設小屋でない所でも積極的にライブをしているようだ。頑張って欲しい。
ただ、何となく軽さを感じることがある。 民謡の大御所達と対等に音楽話をする様をみていると、又、僕がそば屋で見た時もそうだったが、本来は違うキャラの人なのだろう。
ヒット曲が、親しみやすいせいもあるだろうが、民謡紅白や東西民謡歌合戦などのここぞと言う露出の時にカラオケを使うのはどうか。そろそろ歌三線のみで勝負する重厚さをみせていいのではないかと思う。
これは、饒辺愛子や我如古より子辺りにも言えることだ。
ちゃんとヒット曲を持った唄者は結構、少ないのである。
ヒット曲をシングルそのままでやるより、三線のみでこういう感じもいかがですか?とばかりに歌う彼らもかっこいいに違いないのだから・・。 20年後の沖縄で民謡界を背負ってもらうには、そういう面でも頑張ってほしい所なのだが。
- アーティスト: 前川守賢
- タイトル: 前川守賢特集
上記のアルバムは、タイトルからしてマルフクだろう。 沖縄の為にも沖縄にお金の落ちる沖縄産品を買って欲しい。
- アーティスト: オムニバス
- タイトル: 沖縄民謡名選集(1)
沖縄民謡名選集1~ 唐真達子 / 芭蕉布
この唄は、沖縄民謡の範疇に入るのであろうか?
どちらかと言えば、沖縄唱歌と言った方がいいかなとも思うのだが・・
僕が、沖縄を出てもう3年程になるが、芭蕉布は内地に来てから好きになった曲だ。
どうも大宜味村辺りの田舎の風景を思い出してしまうのだ。
僕個人の追想の唄と言っていい。
海の青さと空の青
南の風に緑葉の
芭蕉は情けに手を招く
常夏の国 我した島沖縄(うちなー)
この唄は普久原恒男作曲で、一教師であった吉川安一氏の詞に曲をつけたものだったらしい。
沖縄では、1965年に民謡ではなくホームソングと言う形で発表された。
復帰の頃にはNHK名曲アルバムで流れ、沖縄は元より全国に知られたそうだ。
芭蕉布は、糸芭蕉から取れる繊維から織られる着物で、今こそ伝統文化として大宜味村喜如嘉辺りでしか生産されてないが、昔は本島全域で生産されウチナンチュは皆、この風通しの良い着物を着ていたようだ。
今は、高くて手がだせないが、僕としては芭蕉布の甚平が欲しくて堪らない。
僕とこの唄芭蕉布の出会いは、首里金城町の石畳道だ。もう19年も前の話だが、唄の2番で金城町の石畳に触れているから何か偶然とも言えぬものを感じてしまう。
でも真相は、石畳を友人と見に行った時に近くのチリ捨て場に捨ててあった芭蕉布のシングル盤を拾ったのだ。僕は昔からチリ捨て場で掘り出し物が無いかあさる癖があるのだ(笑)
とにかくそのシングルは、沖縄民謡名選集1に収められた唐真達子によるものと同じだ・・った気がする・・
家で聞いたその歌は、沖縄の宣伝ソングみたいに思った事は事実だ。
でも今この唐真達子の民謡寄りでもない朗々とした歌声は、シンプルに僕に響いてくる。
ガサガサと海風にそよぐ芭蕉の木(木か?)や首里城、そして青い空と海。
内地から見る沖縄はあまりにも美しい。
本当は、そうとも言えない事が多い島なのだが・・・
とにかく芭蕉布は、今の僕に沖縄への強烈な郷愁を呼び起こす唄なのである。
この唄は、夏川りみや普天間かおりもカバーしている。
聞き比べるのもいいかも知れない。
アーティスト: オムニバス - タイトル: 沖縄民謡名選集(1)
オムニバス / 沖縄民謡名選集 1
よく、2chを覗くと沖縄音楽を語ろうみたいなスレを発見する。
何か、沖縄音楽も一般的になりつつあると言うか、皆さんよく聞いているなあと感心したりする。
でも、基本的にどこか変と言うか、物足りなさを僕なんかは感じてしまう。
例えば、沖縄音楽の初心者に薦めるCDは何か?みたいな話題の時だ。
今の沖縄では、どんどんと若いミュージシャン達が発掘され、大して広いマーケットでもないのに発表の場が与えられたりしている。
ここ数年の沖縄絡みのヒット曲を集めたオムニバスが、堂々と沖縄音楽の真髄みたな感じで売られていたりするのだ。
リゾートでない沖縄、島人の優しさ等をテーマにした曲が数限りなく発表されている。
これは、沖縄民謡は元より、沖縄歌謡、ポップス、ロックと全てに共通する事だろう。
かつて、ワルツが名曲沖縄ロックンロールで、
沖縄は、青い海と青い空だけじゃないんだ!
と唄った。ローリーは、親父のヒット曲を否定したのだ(笑)
僕は、今の世代の沖縄音楽の傾向を否定はしないが、心配になる。。
とにかく先人達の偉業を大事にして欲しいのだ。
かつて、70年代に喜納昌吉のハイサイおじさんがヒットした頃、内地の公開ラジオ番組で沖縄音楽特集をしたそうだ。
しかし、聴衆は喜納昌吉には理解を示しても、嘉手苅林昌等、先人の唄には見向きもしなかったと、そのDJは語ったらしい。
同じ様な傾向が、確かに誤解という部分は無くなってきたが、決して無いとは言い切れない。
BEGINなんかは、敢えて沖縄音楽の登竜門と自覚しているからこそ、島人の宝を作ったのだ。(しかも、あの曲は内地でなく、うちなんちゅへのメッセージだ)
今、内地のレコード屋で手に入るCDは、新進のアーティストによるオムニバスか、かつて、沖縄にあったローカルのインディーレーベルのレア音源のコンピが多い。
それはそれで楽しめるのだが、60~70年代に沖縄でヒットした名曲が欠落しているのだ。
マルフクレコード、普久原朝喜が起こしたレーベルで内地資本の参入著しい業界内で、孤軍奮闘している愛すべき県産レーベルである。
当然、沖縄民謡・歌謡の絶頂期に幾多の名演を収めた音源を多数持っているはずである。
沖縄民謡名選集1は、かつての沖縄ローカルのヒット曲を網羅したオムニバスだ。
次回より、16曲、16回に渡って解説・紹介してみたい。
これこそ、沖縄音楽初心者に聞いて欲しいアルバムだ。
でも途中で挫折するかも(笑)
後、最近いまさらのように夏川りみにはまっている。いい唄者だ。
別に若いアーティストを非難する訳ではないので誤解無きよう(笑)
- アーティスト: オムニバス
- タイトル: 沖縄民謡名選集(1)