楠侑子 / 谷茶前
戦時中の沖縄をテーマにした映画にひめゆりの塔がある。
僕は、平成版よりも昭和28年に封切された昭和版の方が好きだ。
戦争時のリアルさがでているのは昭和版ではないかと思っているからだ。僕は、都合3回ほど、ビデオで見た。
ストーリーの詳細については書かない。
よく、ひめゆり部隊について知った人が、「戦時中の沖縄では、こんな酷い事があったのか。」と言う。
今では、映画や当地のひめゆり平和記念館等で知る事ができるので、その感想なのだろう。
僕が、映画で感動したのは戦争の悲惨さでは決してない。
壕(ガマ)の中で、しかも劣悪な条件下にも関わらず、目の前で傷つき、苦しむ傷病兵に対して、精一杯の看護をする少女達の姿だ。
水を欲しがる傷病兵の為に、空襲の危険を冒してまで水を汲みに行き、たった御猪口一杯程度の水を口にした兵隊は、ありがとうと一言残して、死んでゆく。
そこに僕は感動する。 人の営みの中の他人への善意の限界と、それでも他人の為に尽くす事の素晴らしさ、美しさがうまく表現されている様に思うのだ。
過酷さを極めた劇中で、1番ホッとさせてくれたシーンが、夜中の井戸(樋川?)でのシーンだ。
米軍の攻撃の無い束の間に香川京子と楠侑子が、井戸端で楽しそうに沖縄民謡谷茶前を唄う所だ。
谷茶前は、恩納村谷茶の浜に寄ってきた魚を取って、売りに行く海人の村の光景を唄にしたものだ。
谷茶前の浜に
スルル(キビナゴ)小が
寄りてぃんどー ヘイ
沖縄戦の非常事にあっても歌を忘れないウチナンチュ。
よく戦後の沖縄の復興には唄があったと語られる。戦時中もそうだったのではと僕は思う。
やはり、音楽とは人を癒す力があると感じるからだ。
ひめゆりの塔での谷茶前は、リアリティとして僕に感動をくれたのだ。
ちなみに平成版では、そのシーンは無かった。
先生オリジナルの唱歌を歌うよりも、民謡を唄う少女達の姿の方がどこか美しい。
ひめゆり部隊の少女達もウチナンチュなのだ。
平成版には、その視点が抜けているように思う。日本軍に抗議するオジーのシーンが、平成版にあったが、
事実、そんな事があったのかは別にして、ひめゆり部隊の少女達が傍観していたのは頂けない。
気持ちの上だけでも、オジーの気持ちにリンクすると言った描写は必要だったと思う。
昭和版ひめゆりの塔、未見の方は是非、見てもらいたい。
ラストなんか、これで終わりみたいな感じで、逆にドキュメントの部分が浮き出ている。
映画の感想を見る者に代わって、役者に語らせる様な間抜けな手法はとられていない。
で、途中、楠侑子の谷茶前で沖縄民謡の癒しを体感して欲しい。
ビデオは出ているのだが、ジャケ写が無いのは残念。 - 津島恵子主演のバージョンなので、お間違い無く。
- タイトル: ひめゆりの塔
登川誠仁+村上淳 / モンデヨー
なぜか、御大登川誠仁(以下、セイ小)の曲を紹介しようと思ってこの曲を選んでしまった(笑)
セイ小なら、セイ小のカチャーシーやハウリングウルフ以降の最近の秀作群など名演は数知れずの状況なのに・・
この歌は、映画ナビィの恋の劇中歌であり、国頭ジントヨーの替え歌である。
そもそも沖縄民謡が近代にこれほど普及したのは、替え歌のおかげである。
明治後、職を失った士族達は吟遊詩人と化し、沖縄中に王朝時代の歌をひろめたのだが、沖縄の庶民達はさすがだった。今は古典と呼ばれるそれらの曲を早弾ちでやるは、歌詞をこっちのが面白いとばかりに変えるは、あげくに毛遊びの場で即興曲の定番にするはで、昭和初期までに自分達の音楽にしてしまった。
沖縄の替え歌には歴史があるのである。
ナビィの恋が上映された頃は凄かった。
僕は、パレット久茂地に仕事で営業によく行っていたのだが、とにかくパレット屋上階にある映画館の前にはいつも行列が出来ていた。
友達と何げに来た人が、感激して次は家族を連れてきて、果てはオジー・オバーも連れてくると言った有様で、一人が数回観るというリピート現象を引き起こしていた。
僕はナビィの恋はDVDを買って鑑賞したクチだ。今でもたまに見るが、ストーリーはともかく、沖縄の一典型を見ると言った感じだ。
この映画でのセイ小はかっこよかった。
平良とみに向かって三線片手に「ランチは、12:10に持ってきなさい」と言って背を向けるやいなや、
三線で星条旗よ永遠にをアドリブでやるシーンは特にかっこいい!
で、問題のモンデヨーは、劇中に内地の青年に三線を教えてるシーンに出てくる。
主人公の西田尚子のお尻を見ながら、この名曲をやるのだ(笑)
洗濯するナナコさん
プリプリお尻が素敵です
おっぱいも綺麗なの私
もんでよ、早くもんでよ
国頭ジントヨーを知らないと何のこっちゃ分からんかもしれないが、途中で入る西田の何でよーのタイミングも素晴らしく、替え歌の楽しさを満喫させてくれるのだ。
ナビィの恋は、中江裕司監督がミュージカル映画にしたいと言っていた通りに出てくる音楽を楽しめるかがポイントの映画だ。
沖縄民謡界からは、今は亡き嘉手苅林昌をはじめ、大城美佐子、嘉手苅林次、山里ウムザ勇吉等が唄を唄っている。必見だ。
セイ小も本来なら下千鳥やマイケル・ナイマンと共演したラフテーを紹介すべきだったかも知れない。
でも僕にはモンデヨーが1番インパクトがあったもんだから仕方無いのだ(笑)
ナビィの恋、沖縄音楽ファンなら必見、サントラも出てるのでこれも必聴だ!
追伸
劇中で1番心に来たセイ小のセリフ
「おっぱいの小さいのもいいもんだよ」
- アーティスト: サントラ, 登川誠仁, マイケル・ナイマン, 照屋林山, 金城みゆき, 森江春江, 金城清美, 嘉手苅林昌, 大城美佐子, 嘉手苅林次
- タイトル: ナビィの恋
アコースティックパーシャ / 真南風乙
今回は夜寝る時のBGMに最適な沖縄音楽だ。
八重山民謡の魅力は、その物語性にあると思う、
人の歴史に民話の持つ劇的さを唄にしてある物が多いのだ。
八重山民謡には、人を語り継ぐといった形式の唄が多い。
有名な安里屋ゆんたの元唄も安里家に住むくやまと言う美人の痛快な話だし、エイサーでよく使われるクーダーカーも久高満寿主と呼ばれた人の話だったりする。
真南風乙は、女性の名前だ。大層な美人だが決して幸せではない。
真南風乙は、五歳で母を、七歳で父を失い、親戚に預けられた。
が、重労働に借り出され、こき使われる姿は哀れでならない。
でも真南風乙は、よく働き、健気に耐えているそうだ。
いたましいものではないか。
歌詞の意訳である。
人に歴史あり。胸を打つ生涯を送る人は現代にも沢山いるだろう。
自ら、自伝を出すような誤解した人も一杯いるのだが、
八重山では、実在した人の歴史が口伝の唄となり残っているのだ。
この唄もゆんた(田植えとかの集団作業時に唄われる労働歌)として、唄われてきたのが近代になって採譜され一般的になった物らしい。
「八重山のジミヘン」新良幸人の三線にアコギやバイオリンを加えたアコースティックパーシャはそんな八重山民謡を美しく表現してくれるグループだ。
新良幸人のブルースティックな歌声が僕には堪らないのだが、彼の唄を評して
「幸人が歌えば、どんな曲もラブソングになる」
と言っていた人もいる。
八重山の悲歌を切々と歌う彼を見ると僕もそう感じてしまう。他のメンバーも美しい音色でその歌に花を添えている。優しい魅力溢れるグループなのだ。
ちなみに新良幸人は、僕が働いていた某遊技場の常連だった。
別に親しくにはなってない。もったいなかったかなと最近よく思う(苦笑)
アコースティックパーシャを聞きながら寝る。彼らのサウンドは僕を夢心地にしてくれるのだ。
これを企画した上地正昭に拍手を送りたい。
アコースティックパーシャは2枚アルバムを出している。
今回は真南風乙収録の1stを紹介したかったが、
アマゾンには無いみたいだ。
代わりに今は無きライブハウス酔ingで録音された新良幸人のソロデビューアルバムを。
- アーティスト: 新良幸人withサンデー
- タイトル: 春夏秋ちょっと酔ing
りんけんバンド / めでたい めでたい
今回の曲は、去年はまっていた曲だ。
車で聴くCDのヘビーローテーションで、この曲を大音量にして田んぼの中を走っていたものだ(笑)
僕の住む岐阜の山の中でも中古CD屋があって、どんな人が買うのか、たまに沖縄物が出回っている。
りんけんバンドのCDは、5枚程持っているが全てこっちで買った物だ。
りんけんバンドの初期の3枚程は僕もはまっていた。当時の沖縄では唯一ポップさを前面に出した民謡バンドだったからだが。
初期のりんけんバンドの音はゴージャスな音をつかいながらも飽きの早いチープさがあった。
今の音は、照屋林賢がプロデューサーとしての経験を積んだ証であろう。結構、鍛えられた音になっている気がする。アジマァと言う自分のスタジオを持ったのも大きいだろう。
めでたい めでたいは、gon gonというアルバムに入っている祝い唄だ。
ちなみに沖縄では、風はgon gonと吹く。リゾートでないイチャンダービーチのモクマオウの防風林の真ん中に寝そべって聴く海風の音は正にgon gonと聞こえる。
沖縄の祝い唄は、いちいち説明しないがにーびち祝いはもとより、十三祝い・トーカチ・カジマヤー・成人祝い、果てには誕生祝いや建築祝い等のあらゆる祝いの場で披露される一ジャンルの唄だ。
従来の祝い唄にはかじゃでぃ風やめでたい節のような重厚な感じの唄が有名なのだが、これらが祝いの前座で披露されるのに対して、めでたい めでたいは、祝いの閉めカチャーシーだ。
ポップすぎる程にポップなナンバーで、難しい歌詞も皆無。
聞いていて心から楽しくなるナンバーだ。
誇らしゃや誇い
嘉利吉どぅ嘉利り
福ありば踊い
祝いさびら
「誇らしき事あれば、誇れ。目出度い事あればめでたく。幸あれば踊り、お祝いしましょう」
めでたい めでたいの歌詞を意訳して、それを元に即興で琉歌にしてみた。
祝いの座で踊り唄うウチナンチュ達は、
「BABY!今夜は踊ろうぜ!」
とダンスに興ずるロックンローラーに似ている(笑)。
めでたい めでたいの上原知子は改めて凄いとおもう。
しっとりしたナンバーの美ら声もいいが、この曲で間を空けずに変幻自在に入ってくる囃子はさすがだと感動せずにいられない。沖縄のリズムが骨の髄まで染み込んでいるのだろう。
りんけんバンドの諸作は、特に最近になる程にらしい味になって来ていると思う。
かつて照屋林賢は、
「りんけんバンドは、15枚目のアルバムで完成する。」
と言っていた。そろそろじゃないだるうか。
何をやるのか期待したい所だ。
- アーティスト: りんけんバンド, 名嘉睦稔, 照屋林賢, 桑江良奎, 照屋林助
- タイトル: ゴンゴン
本竹裕助&スーパーキジムナー / キジムナー飛舞
三線と言う楽器の可能性ってどうなのだろうか。
奏法というか・・
沖縄民謡の基本は唄三線で、三線は伴奏専門で唄とユニゾンのメロを弾く事になっている。
が、三線とて、数オクターブの音域を持つ楽器だ。津軽三味線の様な奏法も可能なはずだ。
三線の技術を伝える唄の例としてよくひやみかち節があげられるが、確かにあれは完璧に弾けたら面白い曲で、登川誠仁のそれはスピードも加わって凄いものがある。
僕は、密かにサーフロックが大好きで、50~60年代のカリフォルニアのガレージバンドの出す音に堪らない魅力を感じている。いわゆるテケテケサウンドなんだが。
三線でもこのテケテケは演奏可能だ。
今回のキジムナー飛舞は、ギターでテケテケを弾くためのスタッカート奏法を三線で応用したと言ってよいインストナンバーだ。
実際に僕も真似して弾いてみる事があるが、三線の優しい音が、迫力あるロックな音になるのだ。
本竹裕助は、十九の春のヒットで知られる民謡の大御所の一人で、80年代中期にドラマーの宮永英一(チビ)と二人でユニットスーパーキジムナーを結成した。
最初は本竹の唄三線にチビの島太鼓のみの編成であったが、いつからか、本竹+ゾディアック(チビのバンド)+ホーンのバンドとして活動した。
本竹の書くポップな八重山民謡にヘビーなバンドサウンドの融合は迫力満点で、90年代初期では割と新しい沖縄音楽と評され、ちゃーびらさいという内地で演奏したライブのアルバムも出している。
キジムナー飛舞は、そのちゃーびらさいに収録されている。
沖縄のディック・デイルと化した本竹とドラムセッティングされた太鼓を乱打するチビ(当時のレビューで、太鼓がうるさ過ぎるとあった(笑))の演奏は、SEの効果と相まって迫力の演奏を聞かせてくれる。
三線を震わせ、どこか駆け上がるような音には僕もまいった。
まじにキジムナーが、何十人も現れて、上空を飛び交う様(と言うか空を多数で飛び交うギャオスみたいな)が脳裏に浮かんで来るのだ。
今は本竹はどうしてるのだろう?
相棒だったチビが叩き語りと称した琉球マジックをライブでやったり、ついには沖縄芝居の領域にまで踏み込んで、どんどん沖縄化(苦笑)していくのに、その道を開いてあげた本竹裕助の活躍が聞こえてこないのは、少し寂しい気がする。
三線の音には、どこかノスタルジーを感じる事が多いのだが、この曲の様に楽器としての可能性を追求した曲ももっとあっていいと思う。
スーパーキジムナーのCDを探してみたら無かった。
で、かわりに本竹(多分、十九の春)を収録したオムニバスを紹介しておく。
初めて僕もこのアルバムを知ったのだが、クレジットに新城WONDER編集長和博の名がある。ついに自分で唄い始めたのか?いつぞやは、氏のラジオに僕は出た思い出がある。必聴だ!
- アーティスト: オムニバス, 新良幸人, 大島保克, パーシャクラブ, 新城和博, 久保田麻琴と夕焼け楽団, 喜納昌吉, 川畑アキラ, 本竹裕助, 平安隆
- タイトル: おきなわのうた(2)
童歌 / 晴れてぃ呉んそり
今回も沖縄の童歌を紹介したい。
大変短いが、面白い歌だ。まず歌詞をみてみる。
大雨やてぃん
小雨やてぃん
慶良間ぬ後出じぃ
晴れてくんすり
「大雨でも小雨でも、雨は皆、慶良間諸島の方にあげて、晴れにしてください。」
内地で言う所の明日、天気になーれ!である。
沖縄、この場合は南部だと思うが、昔の子供達は明日雨が降らないようにとは唄わない。
降ってもいいから、目の前に見える慶良間に降らせてくださいと唄うのだ。
ここが、闇雲に晴れろ!と唄う内地の子供達と違う所だ。
慶良間諸島は、本島から遠望できる近さにある。が、離島なので本当に雨が降ったらきっと、大喜びしてたであろう(笑)
童歌と言っても、この歌の様に唄というよりも節と言った方がいい物は多い。
あまり関係無い話なのだが、子供の遊びでだるまさんがころんだというのがあるが、僕自身、関西生まれの
大分育ちで(後、人間形成は沖縄)、だるまさんがころんだと言う時は、この言葉に節と言うかメロディーを付けて遊んだものだ。が、関東ではメロディーはつけずに只、叫ぶそうだ。
前に仕事の都合で群馬に行った時に現地の人に聞いたから間違いないと思う。
つまりだるまさんがころんだは、西日本では童歌なのだが、東日本では童歌の範疇に入らないのだ。
子供の遊びと言っても地域性がしっかりあるのは面白いものである。
沖縄の童歌は他にも面白いのが多い。
いずれまた、紹介したい。
童歌 / 小禄豊見城
沖縄には土着の童歌が多数ある。
正直、沖縄の小学校等での音楽教育で、どれだけ民謡が取り上げられてるのか、又、幼児を育てる親達が、沖縄独自の童歌を歌って聞かせるのかわからない。
てぃんさぐぬ花や安里屋ゆんた等は、音楽の教科書に載っている様だが、沖縄にはもっと、子供達に聞かせるべき、豊かな童歌がある。
それは、子供の生活にも根ざし、又、教育の意味からも意義のある秀作揃いなのだ。
沖縄の童歌研究の第一人者とも言うべき人がいる。
高江州義寛先生だ。僕も先生の編集したテープを聴いたり、昔の青い海と言う雑誌の連載を読んだりした口である。
沖縄文化社から先生の沖縄のわらべうたと言う本が出ている。沖縄各地で先生自ら蒐集した童歌の本だ。
楽譜付き(だったはず)なので、興味ある方は是非、読んでみてもらいたい。
小禄豊見城は、童歌でもかなり民謡寄りの歌で、大人が歌う場合は那覇の尾類小(遊女)について唄われたりする。
が、この歌は子供にとって昔の沖縄の地理歴史の勉強になるのだ。
名産物の三大産地を物産毎に歌っていく歌詞は、かつての沖縄の姿と庶民の生活を浮き彫りにしてくれるからだ。
1番の歌詞を紹介する。
小禄・豊見城・垣花の三村
三村ぬ姉小達が
揃とぉーてぃ 布織り話
綾まみぐなよ 元かんじゅんどー
「小禄・豊見城・垣花の各々の乙女達が揃って、布織りの話をしたそうだ。綾(糸筋)を違(まみ)がえると、元も子も無くなるそうだ。」
かつて小禄・豊見城・垣花は、領主儀間按司の奨励のもと琉球絣の産地だったらしい。
美ら布織いやーと呼ばれた娘達の織ったものは、さぞや美しかったに違いない。だからこそ、糸目に違いがあると台無しになったそうだ。
この歌は、2番以降も同じ様に塩・今魚・酒等の産地を唄い、最後はこうなると元も子も無くなると言って閉めてある。
塩所泊、魚所糸満、酒所首里と昔の沖縄は各地に良い伝統産業が根ざしていたのだという歌。どうであろうか?子供の勉強になること間違い無いと思うのだが(笑)
童歌の豊かさを後世に伝えること、沖縄では実際の所どうなのだろう。
雪やこんこんや春の小川なんかを沖縄の子供に唄わせても何の実感も湧かないであろう。もちろん、内地でも言える事だが、子供には土地の童歌を聴かせてあげたいものだ。
童歌のCDは無いようだ。 沖縄の書店には上述の高江州義寛先生監修の沖縄のわらべうたと言うテープがカウンターに置いている事がある。もし、目に付いたら買ってみて欲しい。
沖縄CMソング / 丸市ミート
今回は、軽めに・・
沖縄の地方CMには、凄いものがある。
とにかく、沖縄の現地放送局の製作番組が多いことから、自然、スポンサーも現地企業がつく事が多い。
受け狙いから普通に作っているのに何かおかしいもの。
そして、でーじカタ小付きてぃるものまでバリエーション豊かなのだ。
沖縄でもランチタイムに見るテレビ番組は笑っていいともだ。
で、CMは、全てウチナー企業が占めている。
チューリップポークと丸市ミートのCM曲をウチナンチュに歌ってみなさいと言って欲しい。
大半の人は、そらでほぼ間違い無く唄えるはずだ。
今回は、丸市ミートのCM曲を紹介しておく。
ちなみに僕は、那覇市壷川の丸市ミートさんには昔、仕事でお世話になっていた。ビーチパーティーの買出しも丸市ミートをよく利用していた。
では、その曲の歌詞を紹介して、今回はおしまい(笑)
育ち盛りは、腕白さん
いきいき健康、ご機嫌さん
食べる健康、丸市さん
丸市ミート
別バージョンも。メロは上のと同じ。
かりゆし豚とことぶき豚
かりゆし豚とことぶき豚
かりゆし豚とことぶき豚
丸市ミート
何だか分からんが、ウチナンチュなら誰でも知ってる歌でした。
沖縄ローカルCM全集なんてCDがあればいいなあ。絶対に買うのに(笑)
紫 / MOTHER NATURE'S PLITE その3
そろそろ、沖縄に来る観光客は「沖縄の海は綺麗だ」などと言わない方が良い。
内地の海と比較すると綺麗だからと言う向きもあるが、海の性質が決定的に違うので比較にならない。
内地の海は一見、汚れて見えるが、それでも生物がちゃんと生息している生きた海だ。
沖縄(特に本島)の海はサンゴが死滅した故に、水が綺麗でも生物のいない死んだ海なのだ・・・・
MOTHER NATURE'S PLITEは死に行く海への挽歌だ。
決して、海を綺麗にしようとは歌っていない。
母なる自然は、すでに馬鹿な人間の手により、滅びたのだと啓示されているのだ。
ある日、私は夢の中で母なる自然と出会った。
彼女はみすぼらしい姿で、私に語った。
「私は、人間の為に全てを与えてきました。
青い空も、美しい海も・・
でも人間はバカで、全て台無しにしてしまったんですよ。」
1番と2番の歌詞だ。英語なのでここまで直接的ではないが、身に詰まされる内容である。
この曲が書かれたのは1977年だ。すでにその頃の沖縄の海でさえもウチナンチュの目からしたら汚れ果てていたのだ。
この歌詞は、ボーカルの城間正男の見た夢から着想されたらしい。
その歌詞にジョージ紫は、聞く人に何度も刻み込ませる様な単純ながらもヘビーな歌メロを着けている。
後半の沖縄音階のパートには、民謡好きの下地行雄あたりも曲作りに絡んでるかも知れない。
長い間奏部分は、紫のメンバー全員による沖縄への警鐘に聞こえる。紫らしい演奏で、聴く人を不安にさせる秀逸さがあるのだ。
MOTHER NATURE'S PLITEへの僕の思い入れは尋常でない(苦笑)
もちろん、紫には好きな曲は一杯あるのだが、
僕が、沖縄を知り、好きになるにつれて、沖縄の自然は消えていった。
そんな切なさを代弁してくれる様な美しい曲なのである。
追伸
沖縄の行政も沖縄には美しい自然が残ってますなどとよくアピールしているが、よくそんな事が言えるなと思う。少なくとも埋め立てだけはやめて欲しい。
例え汚くても、自然海岸さえ残っていれば、いつの日か海は回復すると信じれるのだが・・
MOTHER NATURE'S PLITEを収録した紫のオリジナルアルバムを紹介しておく。
曲により出来の差があるのが難点なのだが、僕は大好きなアルバムだ。
- アーティスト: 紫
- タイトル: IMPACT
紫 / MOTHER NATURE'S PLITE その2
紫は、1970年、ベトナム景気に湧くコザで結成された。
1975年に内地デビュー。ロックバンドとしては破格の5万枚以上のアルバムセールスを記録した、当時の日本の最高峰に位置したバンドである。
紫の存在を知り、興奮する僕にN君は、S君を紹介してくれた。
宮古出身の彼は、1stアルナムのMURASAKIと再結成時のライブアルバムMURASAKI WHY NOW!?を貸してくれた。当時の内地のロックシーンで如何に紫が歓迎されたか、ライナーを詠むとその雰囲気が伝わって来た。
更に夏になり、その紫の元メンバー達のバンドが一堂に会すライブの存在を知った。
PEACEFUL LOVE ROCK FESTIVALである。
残念ながら、その年は行けなかったが、FM沖縄の番組POP'NROLL STATIONでその詳細は聞く事ができた。OKINAWA、ENERGY、ISLANDと紫の残党達はそれぞれにバンドを組み、健在だった。
もちろん、喜屋武マリーやコンディショングリーンといった沖縄ロッカー達も健在であり、その存在を僕にアピールしてくれた。
圧巻は、OKINAWAであった。元紫のジョージ紫(key)と宮永チビ英一(vo)のバンドで、演奏に湧く1万の聴衆の前でチビが、
「今日でOKINAWAは、解散する!」
と宣言したのだ。聴衆は一気にシンとした感じになったのを覚えている。が、チビは言葉を続けた。
「俺達は、このチャンスを待ってた!
今ここに新生紫を結成する!」
聴衆は一気に興奮の坩堝と化し、僕もまた、ラジオの前ながら興奮した。
新生紫は、間を置かずに紫の代表曲DOUBLE DEALING WOMANを熱狂の中、披露してくれた。
以後、僕の生活でしばらくは紫を聞かない日は無い程になってしまった。
当時、僕は宜野湾の海近くのファストフードで働いてた。まだドルが250円以上はしてたように思う。
客の大半はアメリカーだった。
夜勤終わりの時など僕は店の売れ残り商品をちょろまかして、持って帰ってたものだ。
近くの宜野湾マリーナの防波堤に行き、店の商品を朝食代わりに夜の明ける海をじっと眺めるのが好きだった。
そんな時に頭の中に流れるのが紫のMOTHER NATURE'S PLITEであった。
失われていく自然への警鐘とも言うべき歌詞と混沌とした沖縄を表すような間奏、そして最後のなんた浜。
当時僕にはまだ、その感慨は無かったが宜野湾の海ももう汚れてしまっていた。
白みゆく海とMOTHER NATURE'S PLITEはしみじみと僕の心を癒してくれたのだ。・・つづく
- アーティスト: 紫
- タイトル: 紫