小学生という生き物は、残酷な生き物だと思う。

思ったことをすぐ口にするし、人が傷つくようなことを平気で言うからだ。



今まで傷つく言葉をいろいろ言われてきたけど、その中でも一番傷ついたのが、小学生の時に同級生の男子に言われた言葉だ。



「飯食うことしかできんのか」



この言葉だけは、ずっと忘れることができない。



私は自分という人間を否定されたような気持ちになった。

泣きそうになっていたけど、泣いたら負けだと思い泣くのを必死に我慢していた。

何も言い返せないことが、悔しかった。


他にもいろいろ言われたけど、しゃべらない私を面白がっていたんだろうか。

私はその子のことが苦手だった。



もう10年以上も前の話だ。

そんな昔のことなんて言った方は何も覚えていないだろう。

でも言われた方はずっと覚えているんだ。


普段は眠っているけど、その「とげ」は今でも心の奥深くに刺さったままだ。




言葉というのは、一歩間違えれば簡単に人を傷つけてしまう。

たとえ相手に悪気がなかったとしてもだ。

口に出してしまえば二度と取り返しがつかない。

時に鋭い凶器となり、人の心をえぐるのだ。

一生消えない心の傷になることがある。

だからこそ、口に出す言葉は気をつけなければならないのだと思う。




希死念慮が止まらず苦しい日々が続いた時期があった。


夢も希望も目標も何もない。

生きる意味はあるのか。

私は何のために生きているのか。


「命を大切にしましょう」と言われても、いまいちピンとこなかった。



常に漠然とした不安があった。

早く消えてなくなりたかった。


真っ暗なトンネルの中にいて、歩いても歩いても出口が見えない。

暗闇の中をずっとさ迷い続けていた。



止まない雨はない。

明けない夜はない。

なんて、綺麗事にしか思えなかった。


目の前に広がるもの全てが別世界のもののように見えた。


空虚な毎日。

泣きたくもないのに、涙が溢れて止まらなかった。


「死にたい」なんて思ってしまう私は、とても弱い人間なのだろうと思った。


「助けて」なんて誰にも言えなかった。


とにかく、生きるのがつらかった。









「もっとしゃべろうよ」
「しゃべった方が楽しいよ」

と言われたことがある。


私だってできることならたくさんしゃべりたいと思っていた。

みんなの輪の中に入ってわいわいしたいと思っていた。

でもどんなに「しゃべりたい」と思っても、自分の意思ではどうすることもできなかった。


「しゃべることなんて普通のこと」

その「普通のこと」が私にはできなかった。



高校時代、私は陸上部に所属していた。
種目は長距離。

昔から走ることが好きだった。


ある日、長距離のメンバーが集まって先輩から「仲良くなりたいからもっとしゃべってほしい」と言われた。

私だってみんなとしゃべりたいし仲良くなりたいと思っていたけど、何も答えることができなかった。


しゃべれないせいで仲間のみんなと仲良くなれないことに、悩んでいた。


伝えたいのに、伝えられない。


私がしゃべらないから先輩を困らせている。

私がしゃべれていたら、こんなことにはならなかったのかな。

同級生の仲間だって、私にどう対応したらいいかわからなかったかもしれない。



学校に行くのはつらかったけど、部活を楽しみに私は学校に行っていた。

でも、次第に部活の人間関係に悩むようになり、冬休みや春休みになると部活を休むようになってしまった。


私は何のために学校に行くのかわからなくなっていった。



学校は「行かなければいけないから」仕方なく行く。

機械的に日々は過ぎていった。



しゃべれない苦しさはいつまで続くんだろう?

私の視界は真っ暗になった。





昔から将来の夢なんてなかった。

喋れない自分の未来なんて全く想像できなかったから。


学校で将来の夢を書かなければいけない時は本当に困った。

でも何か書かなければいけなかったから、別になりたくもない職業をとりあえず適当に書いていた。



中学の時、家庭科の授業で人生すごろくを書かなければいけなかった。

しかし、私はほとんど何も書くことができなかった。

他の人たちはそれぞれ思い思いのことを書いているなか、私の頭の中は真っ白だった。


私はこのまま喋れないまま大人になってしまうんだろうか。

大人になって普通に喋っている自分なんて全く想像できなかった。


大人になんてなりたくない。



中学3年の時、教育実習で来ていた先生に「小学校の先生になったら?」と言われたことがある。

学校の先生という職業にかすかに憧れはあったけれど、喋れない自分がなれるわけないと思った。


もしも普通に喋れていたら目指していたかもしれない。



また、心理学にも興味があった。

カウンセラーについても考えてみたけど、やはり「喋れない自分には…」と思ってしまい、結局諦めざるを得なかった。



今は場面緘黙じゃなかったらカウンセラーになりたかったなと思うことがある。


私でも誰かの役に立てるなら、助けになれるなら、しんどい人がいたら手を差し伸べたいと思う。

それが仕事という形でなくてもいいから。



人よりつらい経験をしている人ほど人に優しくなれる、と聞いたことがある。

心に傷があるからこそ人の痛みがわかる。

だからこそ人に優しくなれる。


本当にその通りだなと思う。



誰しもそれぞれ何かを抱えながら生きている。


私は人に優しくできる人になりたいと日々思うのです。





いつも自分の欠点ばかりを気にしてしまう。


ずっと同じことで悩み、苦しむ。


負のループを回り続けている。



「あなたはこういう精神疾患だ」と診断してもらった方が安心できる。


そうすれば、自分はこういう障害だからできなくても仕方ないって思える。


精神疾患を免罪符にして、甘えようとしている自分がいた。



場面緘黙を知ってから、気付けばそう思うようになっていた。



喋れないのは場面緘黙だから仕方ない。


嫌なことから逃げるのは、不安をコントロールできなくなるから仕方ない。



苦しいのは本当だ。


無理をするのもよくない。


人並みにできないことがあるのも事実だ。



でも、何かを盾にして自分を正当化しないとやり過ごせなかった。



場面緘黙の苦しさは以前の記事で書いたけれど、喋らないといけないと思うから苦しくなる。






これ以上、自分で自分を苦しめるのはやめよう。



たくさん喋れなくても笑顔でいることで、周りのみんなを癒せる存在になりたい。



人と楽しく関われるようになりたい。



「変わってきてるよ」って言ってもらえて嬉しかった。



前向きになれている自分に自信を持とうよ。



人と比べない。



私は私のペースでいくって決めたんだから。



今の自分にできること、やりたいことをやろうよ。



楽しいことを考えて生きていこうよ。