私は大学1年の時、一年間だけ他大学の演劇部に所属していました。
理由は、演技でなら違う自分になれると思ったこと、新歓公演を観に行って衝撃を受けたこと。
そして一番の理由は、自分を変えたいと思ったからでした。
中学の時、文化祭で劇をやった時に、主役がやりたくて立候補しましたが、意気込みが言えずに結局主役は別の子になりました。
おそらくその頃から、何とかして話せない自分を変えたいという意識があったのだと思います。
高校の時も文化祭で劇をやりましたが、主役に立候補することはありませんでした。
立候補したい気持ちはありましたが、クラスの中にいるかいないかわからない空気みたいな私では…と思ってしまったのです。
主役級の役をしたのはいつもクラスの中心にいるような子たち。
中学の頃を思い出し、他の活発な子たちと自分を比べると、劣等感に支配されているようでした。
クラスのみんなで中庭に出て声出しの練習。
一人ずつ大きな声を出すのですが、私はなかなか声が出せませんでした。
みんなが見ている前で大きな声を出すことに、多大な恐怖を感じていたのです。
私だけ何度もやり直しをさせられました。
最終的には何とか声を出せましたが、他の子たちに普段出さない声を聞かれることに対してどう思われるのか、怖くて仕方がありませんでした。
主役に立候補したいくらいなのに、思うように声を出せない私。
自分でも矛盾していると思いましたが、どうしても話せるようになりたかったのです。
そして大学で演劇部に入った私は、新人公演で一度だけ舞台に立ち、ダブルキャストで主役をやりました。
主役はみんなを引っ張っていかないといけません。
公演期間中、みんなで話をした時に、
「人見知りというレベルじゃない」
と、ある仲間から言われてしまった私は号泣してしまいました。
みんなとコミュニケーションがとれない。
私にとってそれは最大の悩みでした。
部活の仲間や先輩たちと一緒にいる時間はとても楽しかったのですが、自分が無理をしていることに気づかないふりをしていたのです。
結局しんどくなってしまった私は、その後の公演にはほぼ参加することなく辞めてしまいました。
緘黙は悪化し、また話せない自分に戻ってしまったのです。
大学でも最初は少し話せていましたが、徐々に話せなくなっていきました。
荒療治が良くなかったのでしょう。
それが良い方にいき、緘黙が良くなることを期待していた私は、環境が変わってもなかなか話せるようにならない自分に絶望してしまいました。
大学2年になると、大学に行くことがどんどんしんどくなっていきました。
それでも保健室や学生相談室に通いながら何とか大学に通っていました。
きっとその頃には既に精神的に病んでいました。
いつまで経っても話せるようにならないことに、不安でいっぱいいっぱいの状態でした。
就職のことを考えるだけで頭が痛くなり、私はなんて弱い人間なんだろうと自分を責め続ける毎日が続きました。
大学4年になった私はほとんど大学に行かず、下宿先に引きこもるようになってしまいました。
卒論を書かなければ大学を卒業できないのに、ゼミに行こうとすると部屋から出られなくなりました。
半年休学しましたが、結局大学は辞めてしまいました。
その後、引きこもり生活をしていた私ですが、精神科に通院するようになってから体調も次第に回復していきました。
それから、居場所やサポステを利用する中でいろんな人たちと関わるようになり、以前と比べて話せるようになってきていると思います。
声が小さくて聞き返されることは多々ありますが…。
話せる人を少しずつ増やしていくことで、話すことに慣れていけるのではないかと思うようになりました。
慣れるまでに時間はかかるかもしれませんが、いろんな人と関わりを持つことが大事なのだと私は思います。