夫婦仲と子どもの不登校
場合によっては “相関関係あり”
のこともあるでしょうが、
わが家はとくに、
問題がなかったように感じます。
その代わり私には・・・
親子関係 =私と実母の関係 に
地味に深い問題がありました
・ ・ ・
強くてしっかり者の母は
愛情深い人でしたが、
やむにやまれぬ背景があって、
娘の私を通し自己実現を試みました。
私が育てやすい
従順な女の子だったこともあって、
母は無自覚にか
私を思い通りに育てようとしました。
例えば、
母の一存で習わされたピアノ。
ピアノの発表会に母は、
母が選んだドレスを私に着せました。
全く私好みではないドレスでしたが、
私は文句も言わずに着ました。
ステージで演奏する私を見て、
母は満足したのかな?
母はうれしそうでしたが、
母の100点はもらえませんでした。
私はますます、
ピアノが嫌いになりました
私がピアノ以外のことをやりたいと言うと、母は「どうして?お母さんはあなたにピアニストかピアノの先生になってほしいと思ってるのよ?」と真顔で答えました。真正のホラー
一事が万事、私のことなのに私には
決定権のない子ども時代でした。
・ ・ ・
母は我慢強く、自己犠牲をしてでも
家族のために尽くしました。
そんな母に対する私の感情は、
感謝と重苦しさのミックスでした。
私は決して母のようにはなるまいと
思っていたのに。。
いざ自分が母親になったら、
息子たちに違う形で同様のことを
いつのまにかしていて。。
自己犠牲の連鎖や、
わが子を使った
自己実現の連鎖
私ハアナタニ尽クシテル・・・
ダカラアナタガ私ヲ満足サセテ・・・
が起こっていたのです❗
おばあちゃんと母の関係も同じ〜‥
・ ・ ・
でも、もう大丈夫そうです。
私は、
近年の息子の不登校&復学支援と
今年直面した母の看取りを通じて、
長年の壮大な謎解きのピースが
ここに全て揃った気がして。。。
負の連鎖 は私の代で、
断ち切れると感じています。
時間がかかったけど 本当によかった。。
・ ・ ・
母が私にしたことは
罪深いことだったけれど・・・
明るくて優しくて、
いいところもいっぱいあった母
私の心の整理もすすみ
もう母のことは恨んでないし、
母も私もただ一生懸命に・・・
ただ幸せに
なりたかっただけよな
って、
仲間や同志のような気持ちで、
互いの健闘を賛えています
・ ・ ・
夫婦にしろ、親子にしろ、
家族関係のひずみ・ゆがみ が
不登校や引きこもり、心の問題
として表れるのかなと感じます。
誰にだって、
傷や葛藤の一つや二つはあります。
だけど乗り越える強さもまた、
誰もが持っていると信じたいです
だから復学支援の上野先生は、復学スタッフを
“家族療法家” と表現されるのでしょうか↓
母の憧れはピアノ。母は私をピアニストにしたかったけど、おてんばだった私に適性なし↓
母は『心配』という愛情表現を最期まで貫いた。その気持ちにはありがとうしかないけれど↓
心配せずにお口チャックも立派な愛情表現。
そしてそっちのほうが親子とも断然いいよ!↓
孫の不登校に心をいため、ずっと心配していた母。旅立つ前に、復学して元気になった息子の姿を見せられてよかったです↓