近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら
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身延の街から国道52号を南下。

富士宮市に入り、昨年参拝に上がった「富士山本宮浅間大社(駿河国一之宮)」の

元宮・山宮である「山宮浅間神社」へ。

昨年に参拝した時の詳しい拙ブログは→こちら


山宮浅間神社は、富士山本宮浅間大社の創建以前に富士信仰の大神が
最初に奉斎された場所で、大神が現在の浅間大社に遷されたのち「山宮」
として関わった神社である。その為、浅間大社も含め、全国に約1,300社
ある浅間神社のなかで最も古いと考えられています。


山宮浅間神社
山宮浅間神社には本殿がなく、富士山を拝む遥拝所であったと推定されています。古代の人々は火を噴く山の不思議な力をおそれ敬い、富士山そのものを祀ったと考えられています。
富士山本宮浅間神社の社伝は、古くは「山足の地」で浅間大神を待っていたが、日本武尊が山宮の地に、大同元年(806)には征夷大将軍坂上田村麻呂が「大宮」の地に遷したと伝えます。富士山を御神体として山の上で祀り、後に麓に下って現在地に祀られたと考えられています。
遥拝の場所と考えられているこの丘は、富士山から流れ出した溶岩流の末端部にあたり、玉垣に囲まれた中心部には、30~40㎝程度の溶岩を用いた石列が見られます。これらは、祭祀の時に浅間大社の神官等が着座する位置を示したものだと考えられています。石列で区分された特異な形態は、富士山自体を神と考え、山体を遥拝する場所として富士山祭祀の形を留めているものと推定されています。
玉垣の周囲には、約45m四方に区画する溶岩を積み上げた石塁が残されています。
-案内板より


玉垣に囲まれた御神木と石列

霊峰富士を拝礼します。



山宮浅間神社 御朱印

富士宮市では至る所で富士山を拝することが出来ます。

新東名道にのり、左手に富士山を見ながら、

旅泊地を目指します。

が、大渋滞の案内があり、すぐに「駿河沼津SA」にIN

シャワーを浴びたりしながら渋滞の解消を待ちました。

夕暮れになり、

沼津の夜景が綺麗に見え始めるころ、やっと渋滞が緩和したので、
明日の事を考え少しでも進むことに。

SAの停めてはいけない所に駐車するアホなキャンピングカー

結局、50km程しか進めず、中井PAで車中泊
第80日目終了
本日の走行距離 227km
つづく
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