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清和天皇の勅願により宇佐八幡宮が勧請され、貞観元年(859)に
笛吹川の中島の大井俣の地に建立され、後に現在地に遷座した
「大井俣窪八幡神社」にきております。

重要文化財
窪八幡神社拝殿 附鰐口 昭和24年2月18日指定
本殿に対応して間口11間の長大な外観で建っています。神社本記には天文22年(1553)に武田晴信(信玄)によって、信州村上義清を攻略の際に祈願成就のため造替が行われたと記され、小屋束からは「弘治3年」(1557)の墨書が発見されています。
左右が対称ではない点、床が低い点などは神社拝殿としては特異であり、庁屋(現在でいう社務所)として使用されていたと考えられます。鰐口の表面には天文22年、裏面には弘治3年の刻銘があります。
桁行11間、梁間3間、一重切妻造、桧皮葺。 -案内板より
北殿 仲哀天皇(足仲彦尊)
ご祭神 中殿 応神天皇(誉田別尊)
南殿 神功皇后(気長足姫尊) で、ございます。

重要文化財
窪八幡神社本殿 附旧壁板 明治40年8月28日指定
中殿に誉田別尊(応神天皇)、北殿に足仲彦尊(仲哀天皇)、南殿に気長足姫尊(神功皇后)がまつられています。昭和26年(1951)の解体修理で永正16年(1519)の墨書が発見され、この頃に建立されたことが明らかとなりました。形式は十一間社流造・桧皮葺で、三間社流造の三社が間に1間をおき、それぞれ横に連結して11間の形となる、わが国に現存する最大の流造本殿です。神社本記には弘治3年(1557)に武田晴信(信玄)が信州出陣の際配下に命じて金箔を再興させたと記されています。各社正面の6面の板壁には壁画が描かれ、正面の大部分に金箔装飾が施されています。-案内板より

重要文化財
窪八幡神社本殿 (後背より)
明治40年8月28日特別保護建造物(国宝)指定
昭和25年5月、重要文化財と改称
十一間社流造、檜皮葺
当社は、貞観元年(859)清和天皇の勅願により、豊前国(大分県)宇佐八幡宮より勧請、東国鎮護として笛吹川の中島、大井俣の地に建立。後に現在の窪の地に遷座した。
甲斐源氏一門、とくに国主武田氏の崇敬篤く、代々社殿造営を行っている。
現本殿は、応永17年(1410)武田信満が再建。享禄4年(1531)武田信虎が修復、弘治3年(1557)武田晴信が川中島合戦の戦勝祈願成就によって、御扉と金箔による豪華な壁画を奉納している。昭和26年、解体復元工事が竣工した。 -案内板より

重要文化財
窪八幡神社摂社若宮八幡神社拝殿 昭和24年2月18日指定
建立年代は、神社本紀と、窪八幡別当上之坊で書き継がれた年代記「王代記」とがともに天文5年(1536)建立としています。
南に隣接する本社拝殿により20年ほど早く建造され、本社拝殿が切妻造であるのに対して、この拝殿は入母屋造で、桁行4間、梁間3間、屋根は桧皮葺です。装飾的な部分が少ない簡素な建物で、落ち着いた外観をあらわしています。 -案内板より

重要文化財 (手前・奥は窪八幡神社本殿)
窪八幡神社摂社若宮八幡神社本殿 昭和24年2月18日指定
祭神大鷦鷯尊(仁徳天皇)は、本社祭神と縁故が深い神なので摂社といわれています建立年代は神社本記によると応永7年(1400)と記されていますが、建築様式から15世紀後期とみられています。
三間社流造、桧皮葺で、軸部の内部まで仕上げられた円柱、幣軸構えの形式、脇障子を省略した縁、きわめて深く折れた破風の反りなど、多くの古式な点が認められます。数多い窪八幡神社社殿のなかでも最古の建造物です。 -案内板より

重要文化財
摂社、若宮八幡神社本殿・拝殿(後背より)
昭和24年2月18日指定
本殿 三間社流造、檜皮葺
拝殿 単層屋根、入母屋造、檜皮葺
御祭神 仁徳天皇(大鷦鷯尊)応神天皇の若宮
社記によれば、貞観元年、御正殿と共に勧請建立された。寛治元年、新羅三郎義光により再建。応永7年、武田信虎が修造したと伝う。拝殿は、社記に「天文5年(1536)新たに修造す」とあり、形式手法より現建物と思われる。昭和28年、解体復元工事が竣工した。 -案内板より


重要文化財 (左)
窪八幡神社末社武内大神本殿 昭和24年2月18日指定
本殿の南側に並んで建ち、武内宿祢をまつっています。高良神社本殿と同じく明応9年(1500)に再建されたとされています。
質素な素木造で、9段の木階を付け、回縁には刎高欄をめぐらせています。
この社殿の絵様彫刻は優美な曲線を示し、木割は雄大でよく整い小規模の本殿建築の代表作と言われています。 -案内板より
重要文化財 (右)
窪八幡神社末社高良神社本殿 昭和24年2月18日指定
本社拝殿の南側に建ち、高良明神をまつっています。神社本記には明応9年(1500)再建と記されています。一間社隅木入春日造、桧皮葺、室町時代後期の手法をよく示しています。 -案内板より
つづく
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