北関東・東北・北海道・上信越 編 ~北へ~(1)1日目①は、→こちら
築城期の石垣が良好に残る史跡甲府城跡は、
山梨県に唯一築城された近世城郭です。

二重の石垣
石垣の解体調査をしたところ、その背後からも石垣が現れ、積み直しをしていることがわかりました。 -案内板より

稲荷曲輪から見た本丸東側にある数寄屋曲輪
(この道も古図には載ってないので公園整備にて造られたモノ)


稲荷曲輪門 稲荷曲輪(内)側 鍛冶曲輪(外)側
稲荷曲輪と鍛冶曲輪をつなぐ門です。
発掘調査によって柱の跡などが見つかりました。
享保の火災でも焼けず、明治初年までは残っていたものを、平成11年に復元しました。
門の形式:単層門 入母屋造り 瓦葺き 東側に土塀付き
門の規模:八尺九寸 控柱間六尺弐寸(間口2.7m×控え1.9m) -案内板より


水溜跡(みずためあと) (左)
発掘調査によって初めて確認された絵図にも描かれていない秘密の水溜です。 -案内板より
数寄屋櫓跡(すきややぐらあと)別称:巽櫓(たつみやぐら)(右)
城内で最も東側に建てられた櫓で、明治初年までは残っていたことが古写真でわかっています。 -案内板より

石切場跡(いしきりばあと)
甲府城の石垣の石材はこのような岩山からも切り出しました。
岩盤の表面には、石を切り出すための古い技術が残っています。 -案内板より


明治天皇御製之碑(大正十三年十一月建碑)
えびかつら色津支そ免ぬ山梨の 里乃阿き風佐むくなる羅し




鍛冶曲輪門 鍛冶曲輪(内)側 楽屋曲輪(外)側
鍛冶曲輪(かじくるわ)と楽屋曲輪(がくやくるわ)をつなぐ門です。
明治のはじめまでは残っていたものを絵図や発掘調査の成果をもとに、平成8年に復元しました。
-案内板より


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