北関東・東北・北海道・上信越 編 ~北へ~(1)1日目①は、→こちら
早朝からガッツリ周り、腹ペコです。

蓬来軒 本店(甲府金山神社の近く)
知人のお奨めの店。一軒目。昼という事もあり店内は込み合っており、
待たされる事はなかったが、次から次へと客が帰っては入ってくる。
お運びさんの若いお兄ちゃんは慣れてないのかな?餃子の手塩皿を
忘れたり、順番を間違えたりしてお客人に怒鳴られていた。
で、肝心のラーメンですが、鶏ガラ+煮干し+野菜+乾物+化調の
あっさりで甘みのあるスープに、少しパサついた感じの中細縮れ。
所謂、支那そばですね。それに中々旨い大判で厚いチャーシュー、
メンマと海苔。大衆中華のラーメンと言えばいいのかな。

チャーシュー麺
お腹も落ち着き午後の部開始。向かった先は、午前の続き、武田氏ゆかりの
神社で、甲府のお隣、韮崎市に鎮座します「武田八幡神社」です。

二の鳥居
元禄14(1701)年に再興、寛政元(1789)年に再々興。その後、昭和54年に屋根の
修理が行われ、平成11年着工の大改修に至った。 -案内板より

石鳥居、正面石垣と総門


山梨県指定文化財 昭和三十六年十二月七日指定 (左)
武田八幡神社石鳥居 付正面石垣
石造明神鳥居。大きな亀腹(礎石)上に立つ柱には、二葉町志田の船形神社のそれと同様、見た目には胴張えい(エンタシス)のごとくに感じられ、しかもがっちり太く(径〇.四六メートル)これに比して柱上には台輪をはさんで置かれた幅の狭い鳥木や笠木は程よい真反りを示し、両端の切り方も内斜ではあるが後世のものほど極端でなく、増しも軽妙である。鳥居の貫に天正一二年(補修)の銘があり、峡北地方の中世造営の鳥居の特徴を備えている。石垣は正面神社参道から鳥居を迂回して石階をつくる特殊な形態を呈し、石積技術も優れ貴重なものである。
平成十年三月吉日 山梨県教育委員会・韮崎市教育委員会 -案内板より
武田八幡神社 (右)
当神社は社記によると嵯峨天皇弘仁十三年勅命によって、九州宇佐八幡をむかえ 地神(武田武大神)と併祀して武田八幡宮と称したという。なお清和天皇の時、 京都石清水八幡を社中に併祀し甲斐源氏の崇敬をあつめたが、鎌倉時代初期武田 の荘に據って武田氏を始めた信義に至りこの郷一帯を寄進して氏神とした後、戦 国時代に武田信玄は現本殿を再建(天文十年)して、子勝頼滅亡の寸前同夫人が 戦勝を祈念して訴えた切切たる願文は今に伝えられ武田家には深い関係を有する 古社である。徳川氏治世後も広く敬信された神社である。
当社の文化財
一、重要文化財 武田八幡神社本殿
三間社流造・屋根檜皮葺・天文十年武田信玄が付棟札五枚・旧巻斗一箇 再建
二、県指定有形文化財 武田八幡神社末社・若宮八幡神社本殿
一間社流造・屋根檜皮葺
三、県指定有形文化財 武田八幡神社石鳥居・付正面石垣
石造明神鳥居石垣長さ六・六メートル、高さ一・七八八メートル
四、市指定天然記念物 武田八幡神社境内の樹叢
社地正面の杉、大小合せ五四本の樫 -案内板より

武田八幡神社配置図


石鳥居後ろの総門は修繕中でした。


総門 参道階段

舞殿
つづく
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