~北へ~(435)80日目⑦ 日本100名城 躑躅ヶ崎館(武田神社)Ⅳ | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

 
             北関東・東北・北海道・上信越 編 ~北へ~(1)1日目①は、→こちら


武田氏館跡(躑躅ヶ崎館)の内堀周りの散策を終え、
館跡に建つ武田神社にお参りします。

 

甲斐国の総鎮護 武田神社
 大正4年、大正天皇のご即位に際し信玄公墓前に従三位追贈(じゅさんみついぞう)が奉告されたのを契機に、ご遺徳を慕う県民に武田神社ご創建の気運が沸き上がり、官民一体となった「武田神社奉建会」が設立され、浄財によって大正8年には社殿が竣工、4月12日のご命日には初の例祭が奉仕されました。
爾来、甲斐の国の総鎮護として祟敬を集め、平成11年にはご創建80年を迎え、祈祷殿「菱和殿(りょうわでん)」のご造営を始めとして各種記念事業が展開されています。
-武田神社公式Webより




ご祭神は、武田晴信命(信玄公)で、ございます。
 武田神社は武田信玄公を御祭神としてお祀り申し上げております。
信玄公はあらためて申すまでもなく、我が国戦国時代きっての名将であります。大永元年(1521年)当神社の背後に控える石水寺要害城に誕生され、天正元年4月12日に上洛の夢半ばに信州駒場で53歳の生涯を終えますが、21歳の時に国主となって以来30年余、緒戦に連戦連勝を重ねるのみならず、 領国の経営に心血を注ぐ中、特に治水工事、農業・商業の隆興に力を入れ、領民にも深く愛されました。
而して、現在でも県民こぞって「信玄さん、信玄さん」と呼びならわし敬慕の情を表し、郷土の英雄として誇りともする所以であります。 -武田神社公式Webより



 
拝殿。鬼瓦をはじめ、あちこちに「武田菱」が刻まれています。


 
拝殿側面。拝殿の後ろには本殿を囲う玉垣。


 拝殿ない


 玉垣と中門

      
  本殿                    社号額

     
   白山社                     榎天神








                               つづく







                当ブログの無断使用は禁止です。
                      メッセージにて確認をして下さい。その上で、 
                      文章引用・画像使用の場合は出典元URLを明記して下さい。