北関東・東北・北海道・上信越 編 ~北へ~(1)1日目①は、→こちら
能登国総社から一気に南下。次なる地 越中国一宮を目指します。

砺波の街中に入り、GS・コインランドリー・めし屋を探します。

コインランドリーの看板を見つけて駐車場に入ると敷地内にラーメン屋が。

らぁめん椿家(砺波市役所の近く)
嫌いな底狭背高の丼に入ったラーメンは、少し酸味のあるスープに
表面は滑らかだが、噛むと粉っぽさの残る麺。品書きには、ブタと
鶏のWスープと書いてあったが、トリさんの主張はない。
炙りチャーシューは、生ガスの臭いがするし。
「こってり」を注文したが、どこが「こってり」なのか?

こってりらぁめん(醤油)
GS・コインランドリー・めしも済み、越中国一宮 高瀬神社へ。


社号標 一の鳥居


史跡 高瀬神社 (左)
昭和四十一年七月一日 南砺市指定文化財
高瀬神社は、延喜式内社として砺波地区を中心に、古くから人々に崇敬されている。
日本海沿岸と関連が深い大己貴命〈大国主命)が祭神で、能登や伏木の気多社も同じ祭神である。
奈良時代の宝亀十一年(七八〇)に「従五位下」と越中最高の位になった高瀬神は、平安初期には正三位と昇進していった。
古くから「越中一宮」と称され、鎌倉時代の「類聚既験抄」にも「越中一宮」とある。明治以降は県社や国幣小社にも楯定された。
室町時代には、神社周辺に東大寺荘園の高瀬庄があった。この高瀬庄から多くの年貢が神社に納められたことが、東大寺の記録に残されている。
境内には、社務所を始め、砺波地方の戦没者や開拓者を祀る功霊殿や宝物館、結婚式場などがある。
例祭は九月十三日、六月には古式による火縄授けの神事も行われる。初詣には例年、数十万人が参詣し、七五三詣、結婚式なども賑わっている。
平成九年二月 南砺市教育委貴会 -社頭案内板より
由緒 (右)
主祭神 大己貴命(大国主命)
配神 天活玉命
配神 五十猛命
当神社の鎮座は遠く、農耕文化の芽生える弥生時代の頃とされています。
延喜五年(九〇五)の神名帳にも登載された七座の筆頭にあり、御神徳の顕著な神社として皇室の崇敬も厚く、奉幣使の派遣もあり越中一宮と称されております。
宝亀一一年(七八〇)従五位下の神階を奉られ年を歴ると共に昇叙を重ねました。治承四年(一一八〇)には正一位に列せられて、大いに宸襟を賑わしました、時代の推移と共に社頭衰頽に及ぶこともありましたが、明治の御代になりまして社運漸く顕われて、明治六年(一八七三)県社に 大正一二年(一九二二)には崇敬者が念願する国幣小社に昇格されました。
昭和二三年(一九四八)社殿の造営成りて神苑は面目を一新するに至りました。
境内の功霊殿は昭和二四年(一九四九)旧本殿を移築したもので、砺波地方の先賢文化功労者並に戦没者勇士の英霊を祀ってあります。敬具
相殿 神明宮 天照皇大神
相殿 風宮 級長戸辺命
相殿 学神 大宰府天満大神
末社 稲荷社 伏見稲荷大神 -社頭石碑より


二の鳥居 社号標


参道 (左)
手水舎 (右)
この水中の木は、国指定史跡となった高瀬遺跡(今から約千二百年前の 役所跡)から発掘された貴重な建物の柱です。
大きな栗の材料を四分の一に割った根元部分です。
乾燥させると崩れますので水につけて保存しています。
社務所 -案内板より


「目カ」とマッチョな身体で、邪気の進入を拒む狛犬たちがおりました。
つづく
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