~北へ~(402)75日目⑦ 春日神社Ⅵ | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

 
             北関東・東北・北海道・上信越 編 ~北へ~(1)1日目①は、→こちら


「春日山城跡ものがたり館」のすぐ近くに鎮座します、



謙信公ゆかりの神社、春日山城の鬼門を封じる「春日神社」に到着です。

 

      
 春日神社入り口 (左)
春日山の名の由来は、
奈良の春日社を山上に勧請したことに由来します。
社伝では、天徳2年(958)と伝えられており、春日山城の築城の時、
ここに遷座して鬼門(北東)を守護したといわれています。
平氏の流れをくむ長尾景虎(謙信)は、藤原氏の流れをくむ上杉氏を
相続して、名実ともに越後の大守となりますが、春日社は藤原氏の
氏神に他なりません。
春日山城は非常時の防衛施設だけではなく、謙信の代に居城となり
政治の拠点として特異な変遷をたどります。謙信は、氏神である
春日明神の加護を受けながら、戦国の世に覇を唱えたのです。
-案内板より


 春日神社 (右)
春日神社は、今から千二十年前の958年の創建です。
越後国府府内全域鎮護の神として、奈良春日大社の分霊を勧請し、鉢ケ峰上に祀りました。
以後この山を春日山と称するようになりました。
1381年に守護代長尾高景が、春日山城築城に際し現在の地に移し、春日山鬼門鎮護として、当地方の鎮守の神として祀りました。
1611年に徳川幕府より50石寄進の墨付を受け、以来神領として朱印地五十石は明治まで続けられました。
祭神は、藤原氏の祖神、天児屋神・武みか槌神・経津主神・女神比売神を合わせ祀ってあります。-案内板より


      

巨木の中、異空間に進むような、真っ直ぐのびる参道を進みます。


 拝殿
 

 ご祭神は、
天児屋根神(あめのこやねのかみ)
武甕槌神(たけみかつちのかみ)
経津主神(ふつぬしのかみ)
比売神(ひめがみ)
 相殿
厳島神社 弁天様
諏訪神社 健御名方神(たけみなかたのかみ)
菅原神(すがはらのかみ)=天神様=菅原道真公  で、ございます。


 拝殿ない

         
   本殿                       摂社 厳島神社





            
              越後春日山城総鎮守
               春日神社 御朱印






                               つづく








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