北関東・東北・北海道・上信越 編 ~北へ~(1)1日目①は、→こちら
春日山城 本丸下の毘沙門堂に手を合わせ、尾根上を先に進むと、一段下に

お花畑

尾根の西側も深い谷になっている。


直江屋敷
上杉家の重臣直江家の屋敷と伝えられ、お花畑から千貫門までの間に上下三段の郭が作られている。現在は遊歩道があって使われなくなっているが郭と郭をつなぐ古道も残っている。-案内板より

直江家は上杉謙信の父・為景の代から重臣として仕え、山城守兼続は謙信の跡目を継いだ景勝の家老として活躍したことがよく知られています。
景勝が会津へ国替えになったときに同行し、米沢藩30万石の城主となったことでもその活躍が偲ばれる。-案内板より

振り返り本丸(稜線左最高部)を見る。その右に毘沙門堂も見える。

後で記すが、空堀の底が切通の道の様になっている事に注目。



下手から見た空堀


空堀
千貫門の内側に連続する二本の堀が造られており、門の位置からは道のように見える。空堀は通常尾根を分断するように造られるが、ここでは堀の形に見せながらも、門から侵入した敵を沢に落とすように巧妙に仕組まれた道のように思われる。
-案内板より

門があったと思われる位置から見た空堀。確かに道に見える。

千貫門
春日山城の古絵図に必ず描かれていたという門が この千貫門である。
この門が、古くから知られていたことを物語っている。
今でも門が立っていたと考えられる部分のみ、土塁が分断されていて、
春日山神社側からクランク状の道がここに通じている。
三方が土塁と土手に囲まれ、左に二本、一見道と思われる切通しがある。
じつは、これは空堀の底で、侵入者を空掘から急峻な崖下に落とそうとしたものであろう。
周到に計画された普請は、本丸と千貫門の外とを区別する重要な地点であったことをうかがわせる。

春日山神社に戻ってきました。

つづく
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