~北へ~(388)73日目⑤ めし・良寛堂 | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

 
             北関東・東北・北海道・上信越 編 ~北へ~(1)1日目①は、→こちら





彌彦神社参拝後はメシです。

   
    杭州飯店(燕物流センターの近く)

「燕三条系ラーメン」が食したくて、神社の前に並ぶ土産物屋で聞き込み。
で、教えて頂いた店。元祖らしい。
30台以上はありそうな大きい駐車場に車を停め、少し離れた所にある店に。
昼時で込み合っている店内。カウンター席はない。相席になるようだが、
従業員が案内するのではなく、指さされたテーブルに行き、客が自分で
先客に許可を得て座るようだ。テーブルの間隔が狭く、後ろの客が大きく、
入る事が出来ないので、椅子を壁側に出して座るとホールを仕切っている
男性に注意され無理やり狭い所へ。水もセルフの様だが取りに行く事も出来
ず窮屈な席で身動きせず待つこと10数分で、タップリのラードに背油チャッ
チャッ。メンマ少々小さいチャーシュー2枚に粗微塵玉葱のラーメンが着丼。
スープは、油+化調+醤油に煮干し的な味。ぬるっとぐにゅっとした感じの
極太平麺。不味くはないのだが別にって感じの「拉麺」でした。



良い天気なので、再び国道402号に出て海を見ながら走る事に。



気持ち良すぎです。



「良寛堂」看板を見つけて停車。

 
 新潟県史跡
良寛生誕地(橘屋跡)  昭和二十七年十二月十日指定
 この史跡は良寛の生家橘屋の屋敷跡です。良寛は宝暦八年(一七五八)出雲崎町名主山本以南の長男としてここに生まれました。
 元の屋敷は現在地の約二倍の広さで、ここは幕府のおふれを掲げた御高札場であったといいます。正面の良寛堂は故佐藤吉太郎氏の計画、安田靫彦(ゆきひこ)画伯の設計によって大正十一年に建立されたもので、佐渡ケ島を背景に、日本海上に浮かぶ浮御堂の構想に成るものです。
 堂内には良寛持仏の石地蔵をはめ込んだ石塔を安置し、良寛の いにしへにかはらぬものはありそみと むかひにみゆる佐渡のしまなり の歌を刻んでいます。
 新潟県史跡  昭和27年12月10日指定
 新潟県教育委員会 出雲崎町教育委員会   -案内板より


        


 良寛堂

       

 いにしへにかはらぬものはありそみと
 むかひにみゆる佐渡のしまなり


お堂の背面、背中合わせに海を見つめる「良寛さん」の座像。

    

その視線の先には、佐渡の島影が薄っすらと見えていました。








                               つづく








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