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良寛堂の近くを散歩していたお爺ちゃんと話をしたところ、
すぐの丘の上に良寛さんの「記念館」があるとの事。無論、行きました。

良寛記念館
良寛生誕200年を記念して広く浄財を求め昭和40年に完成したものであり、東京工業大学の谷口吉郎博士(芸術会員)の設計によるものです。館内には良寛の遺墨、遺品、文献等が数多く展示されています。敷地内には五合庵を模写した庵や島原の文人画家釧雲泉の墓があり、館の南には、橘屋の墓地があります。
-出雲崎町観光協会Webより


残念ながら館内は撮影禁止でした。


記念館の周りは「良寛と夕日の丘公園」という公園です。

良寛とは
良寛 宝暦八年~天保二年(1758~1831) 享年74歳
越後出雲崎に生まれ、詩人・歌人・書家としても知られる江戸時代後期の禅僧。良寛は俗名、号は大愚。幼名は山本栄蔵、15歳で元服し文孝と名乗りました。
生涯無欲恬淡な性格で、生涯寺を持たず、諸民に信頼され、良く教化に努めました。良寛自身、難しい説法を民衆に対しては行わず、自らの質素な生活を示す事や、簡単な言葉(格言)によって一般庶民に解り易く仏法を説きました。その姿勢は一般民衆のみならず、様々な人々の共感や信頼を得ることになりました。良寛は「子供の純真な心こそが誠の仏の心」と解釈し、子供達を愛し積極的に遊んだと云われ、高名な人物からの書の依頼は断る傾向がありましたが、子供達から凧に文字を書いて欲しいと頼まれた時には喜んで書いたと云われています。
-出雲崎町観光協会Webより


また戒律の厳しい禅宗の僧侶でありながら般若湯(酒)を好み、良寛を慕う民と頻繁に杯を交わしたそうです。これも形に捉われない良寛の魅力ではないかと思われます。
すべての生きものに愛をそそぎ、老若男女、富者貧者を問わず等しく交流し、人としてどうあるべきかを常に問いかけた良寛の心は、現代にも共通する心として多くの人に共感をあたえています。
-出雲崎町観光協会Webより



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