北関東・東北・北海道・上信越 編 ~北へ~(1)1日目①は、→こちら
72日目は、まずは、昨日通過してきた鶴岡市に向かいます。


国道112号から月山ダム湖を一望できる展望広場に建つ「月の女神」像

鶴岡市内に入り、ほぼ中心に位置する庄内藩の藩庁・鶴ヶ岡城址に。

戊辰の役(戦争)時、奥羽越列藩同盟にて会津藩と共に最強硬派として、
西軍(官軍)と戦い、会津藩が降伏した後、明治と改元された9月25日まで
徹底抗戦を行った酒井氏の本城であります。

その城址ないに鎮座します「荘内神社」と「鶴岡護国神社」に参拝です。

東側にある大手門跡からまっすぐにのびる参道を進みます。


参道左手に「鶴岡護国神社」正面に「荘内神社」が鎮座しておりました。

まずは、「鶴岡護國神社」にて、英霊に感謝のお参りです。


護國神社 社号標 招魂社 社号標

正面


手足の大きな狛犬


御祭神
戊辰・西南の戦役 日清・日露の戦役 満州事変~大東亜戦争 護國の英霊4930柱を奉斎
御由緒
当神社は、旧藩主酒井忠篤公の御発信により明治28年10月明治維新以来、国難に殉じた人々の霊を祀るため創立される。
拝殿には、特に十代藩主忠器公の御霊廟が下賜され鶴岡招魂社と称し昭和5年までは酒井家を中心に維持され、以後同20年までは鶴岡市民全般の崇敬により慰霊祭を厳修されてきた。
同14年、招魂社制度の改革により鶴岡護國神社と改称する。
同年、指定神社となり神饌幣帛料が供進された。
同20年、未曾有の敗戦の後、占領政策(神道指令)により公的機関との関係を一切断たれ維持運営が危ぶまれたが、御祭神と由縁のある遺族会を始め戦友会の人々の赤誠あふれる真心により、護持され英霊に対する報恩感謝の念が表されている。
平成6年4月24日 鶴岡護國神社 宮司 石原純一
-案内板より


拝殿 本殿


鶴岡護国神社 御朱印 忠魂碑
全ての兵者に敬意を表しますと共に、英霊の御霊に感謝の誠を捧げます。
つづく
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