北関東・東北・北海道・上信越 編 ~北へ~(1)1日目①は、→こちら
下拝殿の左手の急な石段を上り、拝殿へ向かいます。




三の鳥居

拝殿


拝殿ない
国登録有形文化財
鳥海山大物忌神社 吹浦口ノ宮本殿 摂社月山神社本殿
平成二十四年二月二十三日 登録
本境内の一番奥、最高所に大物忌神を祀る大物忌神社本殿(東側)、月山神を祀る摂社月山神社本殿(西側)が南面して並び立っている。前身の本殿が宝永3年(1706)正月の火災で焼失し、宝永8年(1711)に庄内藩酒井家によって、現本殿が再建されたと伝わる。本殿後ろの斜面に石段が残っており、鳥海山詣りの道者たちは、この石段を通り、山に向かったと言われている。
両社殿は、彫刻や脇障子の絵柄を除けば、全く同型、同大の一間社流造の建築である。もとは屋根が茅葺きであったが、昭和14年(1939)に壁板や土台を取り替え、屋根を葺き替えるなど修理され、併せて周囲の中門廻廊や玉垣が造り替えられている。続いて中門の下方には、戦時下の昭和18年(1943)に、台湾産檜材を用いて、桁行五間、梁間三間の拝殿を建て、登廊で繋がれた。これら昭和戦前期建造物の設計は、東京小石川区の小林設計事務所小林謙一が担当した。江戸中期の地方色のある両本殿と、近代の端正な設計の拝殿等が破綻なく融和しているのは、設計者が内務省神社局、宮内省内匠寮の設計者の系譜に連なり、神社建築の設計手法に通じていたことをうかがわせる。
周囲のタブノキや杉の社叢とあいまって、かって「出羽国一宮両所宮」とも称され、明治以降「国幣中社」に格付けされた大神の社殿としての風格が感じられる。
遊佐町教育委員会 -説明板より


拝殿裏の一段高い場所に2棟の本殿が並んでおり、向かって
右が大物忌神社本殿。左が月山神社(摂社)が鎮座しております。

拝殿横の鳥居を上がってみます。



白山姫神社 雷電神社(末社)





鳥海山大物忌神社吹浦口ノ宮
出羽国一宮 御朱印
つづく
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