~北へ~(361)67日目① 移動・厩石 | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

 
             北関東・東北・北海道・上信越 編 ~北へ~(1)1日目①は、→こちら





67日目、天候が崩れそうですが津軽半島突端・龍飛崎を目指しました。

 

青森市内をぬけ、国道280号に入ります。



海沿いに出ました。

 

内陸側にはバイパスが通りますが、あえて海沿いの旧道を走ります。

  

しばらく走ると、入りやすい駐車場があり、休憩です。

 

「紫陽花」が綺麗に咲いておりました。



今別の街を過ぎ、少し走ると漁港の隅に「義経」の文字。



勿論、車を停めて辺りを散策します。



穴の開いた大きな岩?崖?の前の石碑には、
「源義経龍神塔」「静御前龍神塔」と書かれておりました。

     

この穴の開いた大きな岩?崖?は「厩石(まやいし)」という様です。

 
厩石の由来
 文治五年(1189年)、兄頼朝の計らいで、衣川の高舘で藤原秦衝に急襲された源義経は、館に火をかけ自刃した。これが歴史の通説であるが、義経は生きていた!藤原秀衡の遺書 (危険が身に迫るようなことがあったら館に火をかけ、自刃を粧って遠くの蝦夷が島(北海道)へ渡るべし) のとおり北を目指しこの地に辿り着いた。
 近くに蝦夷が島を望むが、荒れ狂う津軽海峡が行く手を阻んで容易に渡ることが出来ない。そこで義経は海岸の奇岩上に座して、三日三晩、日頃信仰する身代の観世音を安置し、波風を静め渡海できるように一心に祈願した。
 丁度満願の晩に、白髪の翁が現れ“三頭の龍馬を与える。これに乗って渡るがよい”と云って消えた。翌朝厳上を降りると岩穴には三頭の龍馬が繋がれ、海上は鏡のように静まっていて義経は無事に蝦夷が島に渡ることができた。それから、この岩を厩石、この地を三馬屋(三厩村)と呼ぶようになりました。
  -案内板より



ここで、松前街道(国道280号)は終り、国道339号に入ります。


                               つづく








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