北関東・東北・北海道・上信越 編 ~北へ~(1)1日目①は、→こちら
「まったく」と言っても良い位、車が走っていない道。

左手に綺麗な鳥居を見て、車を停めました。


社号標(太田山神社)は新しいですが、狛犬はその姿に歴史を感じます。


その狛犬たちが守る神域への石段が急な事。
ロープがなければ危険なレベルです。


太田神社の由来
日本海を直下に、屏風の如く厳然として聳え立つ太田山頂上近くの洞窟が神を祭る本殿。
松浦武四郎は本殿まで辿る道のりを猿がよじのぼり、蟹が歩が如く…三百余間…その嶮しさを描写、その様子は今も昔も変わらず。太田神社の開基は享徳三年(一四五四)松前の祖武田信弘、霊験あらたかなこのお山に、太田権現の称号を賜ったことに始まる。蝦夷地最古の山岳霊場太田山は神仏混淆のお山、全国から修験者、信仰者の参詣絶ゆることなし。
寛文年間一六六一~一六六六)円空上人洞窩にこもり仏を刻む。およど百年後、寛政三年(一七八九)民俗学者菅江真澄太田山に上る。その際、情景細やかに記録し、絵も残す。絵の中に本殿前に円空仏数対描きとめられる。
宝永元年(一七〇四)正光空念 太田嶽大権現、本地地蔵菩薩を納経、その後、不動明王、蔵王権現、不動形金比羅蔵王権現等まつられる。
明治四年(一八七一)神仏混淆禁止のおふれに基づき、大日常建立(長音寺)仏像を遷座する。この年太田山神社の社号開拓使より認可猿田彦命が祭神となる。大祭は毎年六月二十七日宵宮二十八日本祭が厳粛に執行される。
せたな町大成観光協会 -案内板より


画像左下の鳥居から尾根伝いに右上の〇あたりにある本殿に登るようです。

写真を撮り、案内板を読んでいると石段上から下りてくる方がおり、
状況を聞くと、
「上は霧で何も見えない」「足元が滑り危険なので途中で下りてきた」
「今日は止めた方が良いのでは?」


素直に本殿への参拝を諦め、教えて頂いた「拝殿」から参拝しました。


こちらの社号標、社号額は「太田神社」となっていました。


年表(左)
嘉吉年間(室町時代)1441~1443年 太田神社の創立といわれる
享徳3年(1454年) 武田信広(松前藩祖)太田大権現の尊号を賜わる
寛文6年(1666年) 美濃の国の僧、円空大日如来を奉安する
宝永元年(1704年) 越前国正光寺の僧、空念観音経を奉安する
安永7年(1778年) 甲斐国の僧、木喰大日如来を祀る
寛政元年(1789年) 三河国の国学者、菅江真澄詣る
寛政12年(1800年) 伊能忠敬蝦夷地を実測する
文化3年(1806年) 幕吏、遠山村垣の一行巡視する
文化4年(1807年) 近藤重蔵一行巡視する
分改元年(1818年) 不動明王2神の銅像を津軽浜田村の人山田助右衛門が安置する
天保12年(1841年) 大田村に大日堂を建立し、備前の国の僧、増賢が大日如来を祭る
弘化2年(1845年) 松浦武四郎一行巡視する
嘉永元年(1848年) 僧、定山(定山渓温泉開祖)別当として住居する
安政3年(1856年) 松浦武四郎一行再び巡視する
慶応3年(1867年) 太田山麓に拝殿を造営する
明治4年(1871年) 太田山大権現の仏体仏具を廃し、太田山神社と称す、猿田彦大神を祭る
明治27年(1894年) 拝殿改築、拝殿前面に社務所新築される
大正11年(1922年) 本殿を消失、本殿再建、さらに女人遥拝堂を新築する
昭和7年(1932年) 道南霊場第一位となる
昭和38年(1963年) 拝殿大鳥居完成、拝殿、社務所を新築する
昭和51年(1975年) 女人堂改築される
昭和52年(1776年) 本殿改築される。
-案内板より
太田山大権現(右)
太田山大権現は、北海道西海岸随一の霊場にて、有珠の善光寺と並び称される。往時より参詣者絶ゆることなし、太田山(485米)は、一名帆越岬と称し、沖合通過の船は必ず下帆の礼を為し、然らざれば航路難渋すと伝へられる。
そのゆらいは、遠く享徳三年(1454年)武田信広(松前藩祖)一族70余名を従へ蝦夷島に向い奥尻島へ停船して対岸の情勢を探らん と上陸するにアイヌこの山嶺を仰ぎ跪座して礼拝し居るを見、その理由を問うにアイヌ曰く「この山頂に霊神あり、オホタカモイと称し航海を護り病災を救う霊験顕著にしてい、蝦夷地の守護神なり」と。信広これを聞き即ち登山し、洞窟を本殿として太田山大権現の尊号を奉り、武運長久、天下泰平、海上安全、諸業円満を祈願せりと伝う。
その洞窟鉄鎖三丈(九米)を攀じ登る嶮崖にあり、寛文六年(1966年)僧円空この地に来たり、鉈作りの大日如来を奉安せり、安永七年(1778年)僧、木喰もこの洞窟にて作仏せり。真言山伏の参篭と全国より崇敬者の参詣絶えず。6月28日の例祭頗る殷賑を極む。慶応三年(1867年)山麓に拝殿を造営して参詣の便を計りしが明治4年神仏混淆禁止の布達により、太田山を太田神社とし、山麓の大日如来を村落に移して大日堂とす。大正11年(1922年)6月28日参篭者の灯明により発火して洞窟内のすべて鳥有に帰し、現在は猿田彦大神を祀る。
-案内板より

つづく
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