北関東・東北・北海道・上信越 編 ~北へ~(1)1日目①は、→こちら
神威岬を出て、

奇石を見ながらしばらく走ると「鰊御殿とまり」の看板があり。

右折して、積丹半島の西の付け根にある泊村の集落に入りました。


鰊御殿とまり
泊村でニシン漁が始められたのは今から約300年程前と言われています。
明治になってニシン漁が全盛期を迎えると、泊村には50を超えるニシン番屋が建ち並びニシン漁によって莫大な富をもたらしたニシン番屋は泊村の繁栄の象徴でもありました。
当時の繁栄を現在に伝えるため移築、復元された2つの建物は明治27年に親方の川村慶次郎氏が建設した「旧川村家番屋」と、大正5年頃に武井忠吉氏によって母屋と棟続きで建設された「旧武井邸客殿」でどちらもニシン漁が盛んだった当時の泊村の姿をいきいきと想像させます。
「旧川村家番屋」では漁場を経営する親方と雇った漁夫たちと共同生活するために独特の構造となっていて、莫大な富を得ていた親方の暮らしや雇われた漁夫たちの共同生活の場など、それぞれの部屋には当時の情景を再現した展示や当時の貴重な資料が展示されています。
「旧武井低客殿」は当時、客殿として使用されおり、ニシン漁で得た財力によって贅をつくした造りとなっております。室内には当時の華やかだった情景が貴重な資料とともに再現されています。
-泊村商工会Webより



保津船(ほっつせん)
ニシン漁に使われた船
単位:1尺=30.3cm 1丈=3.03m
①三半船(さんぱんせん)
梁(横幅)7~10尺 敷(船底長)2丈5尺
ニシン漁に使われるもっとも大きい船、起し船・枠船・汲船に使用、櫂8本・櫓1本。
②保津船(ほっつせん)
明治時代前半頃には三半船より小型、後に大型化し三半船と同規模型もありました。
三半船と同型でミヨシ(船先端に伸びる突起)のないもの。
枠船と刺網に使用、櫂8本・櫓1本。
-余市教育委員会より


旧川村家番屋


屋内に入ると中央に土間、左に板張りの漁夫の部屋。
右が畳張りの主・川村家の部屋となっておりました。


高価な焼き物や塗り物が往時の繁栄を物語ってます。

おびらの番屋では中二階に部屋が設けられていましたが、
こちらでは二階の奥に隠れ部屋がありました。



土蔵


つづく
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