~北へ~(384)61日目④ 余市蒸溜所Ⅰ | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

 
             北関東・東北・北海道・上信越 編 ~北へ~(1)1日目①は、→こちら





小樽の裕次郎記念館に続いて訪れたのは、
余市のニッカウヰスキー蒸留所の見学です。



ウイスキーの製造方法・工程やニッカの生い立ちなどを展示した博物館や、
竹鶴(創業者)と妻のリタが暮らした私邸などがありました。

 

この乾燥棟(キルン塔)で、大麦麦芽(モルト)がつくられてます。
この作業は、ウイスキーにピート香(スモーキー・フレーバー)を
染み込ませるためにも大切な行程です。*



特徴的な屋根は「パゴタ屋根」と呼ばれてます。*



続いて「粉砕・糖化棟」です。

    

大麦麦芽は粉砕された後、マッシュ・タン(糖化槽)で約60℃の
温水を加えて攪拌され、麦芽に含まれる糖化酵素のはたらきで
甘い麦汁(糖化液)に変化します。*

   

糖化液は醗酵槽(発酵タンク)に移され、酵母を加えて、醗酵に入ります。
およそ72時間を経て、アルコール度数7~8%のビール状の液体(もろみ)が
できあがったら、これを地下のパイプで蒸溜工場のポットスチルへ送ります。*



単式蒸溜器(ポットスチル)が並ぶ蒸溜棟です。奥から3番目の小さな釜は
創立当時に使用していた釜です。(釜の上部にしめております注連縄は、
創業者竹鶴政孝の実家が造り酒屋を営んでおりましたので、その風習を取り
入れ「良いウイスキーが出来ますように」としめております。)*



昔ながらの石炭による「石炭直火蒸溜」が行われています。*

          



創立当時、ウイスキーは貯蔵する一方ですぐに商品化が出来ませんでした
ので、余市で採れるりんご等の果物を使い、ジュースやジャム等の加工
食品を製造しておりましたので、社名を「大日本果汁株式会社」と申して
おりました。大日本の「日」と果汁の「果」取り、昭和27年に
「ニッカウヰスキー」と社名変更いたしました。*



昭和9年7月に建設されたニッカウヰスキーの創業者・竹鶴政孝の
事務所は内部も保存され見学できます。


 


*は、公式Webより転載




                               つづく








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