~北へ~(287)42日目⑥ 根室半島の先端Ⅱ | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

 
             北関東・東北・北海道・上信越 編 ~北へ~(1)1日目①は、→こちら


納沙布岬・望郷の岬公園に建つ「北方館」に続いて「望郷の家」を見てみました。



こちらの施設も「北方館」と同じ「独立行政法人北方領土問題対策協会」が、
年間13億以上の血税を使い管理運営している施設です。

      
  望郷の家 建設の主旨
この「望郷の家」は昭和四十七年四月北方領土からの引揚者の団体(千島・歯舞諸島居住者連盟)が建てたものであります。
 昭和二十年九月に(戦後)、突然ソ連軍が北方領土を占拠し、北海道との間の海を閉鎖し、行き来を断ちました。島民の一部は不安の余り、夜陰に乗じて自分の小さな船で島を抜け出しました。残った者は島で働かされ、昭和二十二年、二十三年の二ヶ年に恒って、懐かしい山川を後に、全員強制的に本国に送還されました。
 島民達は、遠ざかる島々に吾々は必ず帰ってくるぞと涙でちかいました。この望郷の家は、全国の皆さんに日本固有の領土であり故郷である北方領土を、この望郷の家から見て頂き、日本国民が一致団結し、一日も早く北方領土の返還に頑張って頂きたい念願をこめて、建てたものであります。
 北方領土は、日本人が開拓した、国造りした日本固有の日本国民の領土であります。
-案内板より


 

らせん状の坂を上りながら壁の展示パネルを見ます。


 納沙布岬から見た「歯舞群島」


 貝殻島(歯舞群島)の灯台(昭和十二年建造)


休憩室には何故かタヌキが休んでいました。


 

岬には沢山の碑が建っております。
 



その中に根室歴史と自然の資料館に複製が展示されていた
「横死七十一人の墓」
寛政の蜂起和人殉難墓碑(旧名 寛政の乱和人殉難墓碑)の実物が。

   

1912(明治45)年5月、納沙布岬に近い珸瑤瑁(ごようまい)の浜で、 砂に埋まっている石が発見されました。掘ってみると「横死七十一人之墓」と彫 られていました。

■横死七十一人之墓
 現在、この「横死七十一人の墓」は納沙布岬の傍らに建てられています。この 碑の横面には、「文化九年歳在壬申四月建之」と刻まれ、文化九年は西暦の18 12年ですので、この年の4月に造られたことがわかります。裏には漢文で難し い文章が書かれていますが、現代語訳にすると
 「寛政元年五月に、この地の非常に悪いアイヌが集まって、突然に侍(さむら い)や漁民を殺した。殺された人数は合計七十一人で、その名前を書いた記録は 役所にある。あわせて供養し、石を建てる」
 という意味になります。これだけ読むと「凶悪」なアイヌが、この地の侍や漁民を虐殺(殺害)したということだけしかわかりません。真実の歴史はどうであったのでしょうか。
-根室市公式Webより

       


そして、何の意味があるのかわからない巨大な創作物。



その創作物から見る展望塔(通称オーロラ・タワー。旧称笹川記念平和の塔。)



この展望塔は「特定非営利活動法人望郷の塔」が管理運営しているようである。




                              つづく