北関東・東北・北海道・上信越 編 ~北へ~(1)1日目①は、→こちら
釧路一之宮 厳島神社/釧路護国神社に隣接する米町公園を覗いてみます。

灯台と思って近づいたら展望台でした。

展望台からの眺め


釧路の街が一望できます。

条件が良いと摩周岳や斜里岳、日高の山々を見渡せるようですが。

石川啄木の歌碑
しらしらと氷かがやき 千鳥なく 釧路の海の冬の月かな
歌碑背面
石川啄木が初めて此の釧路に足跡を印し「さいはての驛に下り立ち―」と詠ったのは、明治四十一年一月二十一日であった
爾後七旬、薄幸と挑み、生活と戦ひながら、創業時代の釧路新聞社に縦横の筆を揮ひ、釧路を背景として、詩型の因襲を離れ、短歌内容の傅統に囚はれず、勝れた幾多の歌を表現している。
然るに當時、中央文壇自然主義文学運動の風潮を見て、北陬の地に居るに堪へず、遂に同年四月二日、海路より飄然と退釧している。
此の由緒を憶ひ、啄木の友土岐善麿氏に選歌を乞ひ、同郷の人佐藤昌介翁の揮毫を需め、此處知人岬に地を相し、啄木生誕五十年と、釧路が持つ此の誇りとを永遠に記念しようと、同志計って此を建てたのである。
昭和九年十二月 建碑委員長 茅野満明

石川啄木歌碑
啄木日記の明治四十一年(一九〇八)一月二十一日に「―九時半此釧路に着、停車場から十町許り、迎へに来た佐藤国司らと共に歩いて、幣舞橋というを渡った―」とあって、七十六日間の釧路生活が始まりました。啄木二十二才の時のことです。
此の歌は歌集「一握の砂」に収められた一首であり、歌碑は啄木生誕五十年を記念して昭和九年(一九三四)に建立されました。この知人岬の地は作家林芙美子の勧めにより選ばれたもので、釧路の啄木歌碑の中では最も古く、全国で三番目に立てられたものです。
-説明版より
少し時間が早いですが、釧路の街でめしを食しておくことに。

ラーメン銀水(釧路合同庁舎の近く)
コンビニで聞いたところによると「釧路ラーメン」の老舗だそうです。
特製と普通のチャーシューメンの違いを聞くと「大きさと部位の違い」
との事なので、大きいバラの方(特製)を注文。
鰹節中心+鶏ガラ+化調のスープ。非常にあっさり、すっきりとしている。
このスープに合わせてか?麺に合わせたスープなのかはわかりませんが、
細平打ち波麺が入ります。この麵、3口目には「ヤワ」状態になる。
例えるなら「小麦の香りがする、のびたカップヌードルの麺」
あまり味のしないメンマは麺に合わせてか?細切り。
生姜が強いチャーシューは中々でした。

特製チャーシューメン
つづく