北関東・東北・北海道・上信越 編 ~北へ~(1)1日目①は、→こちら
39日目は、釧路の中心地を通り抜け、すぐの知人岬に鎮座しております、
釧路一之宮 嚴島神社/釧路護国神社参拝から始めました。

鳥居を挟んで、左に嚴島神社、右に釧路護国神社の社号標が並びます。



参道を上ると正面に厳島神社の社殿が見えてきます。

厳島神社の
ご祭神は、
市杵島姫命(いつきしまひめのみこと)
阿寒大神(雄阿寒岳・雌阿寒岳を霊峰とする山神、アイヌの神)
稲荷大神(食の神)
金比羅大神(金刀比羅宮の分御霊で海上安全、大漁の神)
秋葉大神(緒厄緒病を祓い、厄除け開運、家内安全商売繁盛の神)
海津見大神(海上安全、大漁満足の神)
猿田彦大神(國ツ神の一つで道祖神、また俳優(わぎおき)の神)
で、ございます。


ピンと立った尻尾が特徴的な狛犬たち


由来
本神社は釧路が来開草業らいかいそうぎょうの頃、漁場請負人ぎょばうけおいにん 佐野孫右ェ門が漁場の安全と大漁祈願の為、安芸の厳島神社の御分霊を勧請奉祀かんじょうほうししたのが起源と伝えられています。
文化二年には佐野孫右ェ門が再び請負人となり、旧真砂町高台の土人達がカムイシュマ(神岩の意)と呼び、木幣いなうを立てて祀っていた土地四百坪に神殿を造営、以来累年豊漁が続き住民も年を逐って増加し、遂に神社を四週して一部落を形成するに至り、住民自ら産土神うぶすながみと崇仰するようになったのです。
これは安政四年に函館奉行の命により全道踏破した松浦武四郎の「久摺日記」に明記される処です。
明治二十四年二月十日、現在地に本殿拝殿を造営して御遷座ごせんざ、同年五月郷社に、大正二年五月に縣社に昇格いたしました。
公式Webより-

拝殿

拝殿ない

社殿 嚴島神社(左)・釧路護國神社(右)
続いて、護國神社にて英霊に感謝の参拝を行いました。

拝殿

社号額

明治天皇御製
「戦いの庭に斃れしますらをの魂は御国をなほ護るらむ」
全ての兵者に敬意を表しますと共に、英霊の御霊に感謝の誠を捧げます。


龍神祠(境内社)


稲荷祠(境内社) 釧路一之宮 嚴(厳)島神社
御朱印
つづく