~北へ~(254)33日目④ 襟裳岬Ⅱ | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

 
             北関東・東北・北海道・上信越 編 ~北へ~(1)1日目①は、→こちら


 


襟裳岬突端を目指して進んでいます。



到着。
    

先ほど居た「襟裳岬展望台」の崖下がよく見えます。



頭巾を被った母(右)と子(左)の横顔に見えませんか。

      

アザラシ見えないかな。



まだ先に進むことが出来そうです。



昆布小屋の横をぬけると、



石碑と鳥居があります。

 
 豊国丸殉難者追悼碑
海軍中将正四位勲二等功五級四竃考輔 書
 由来
昭和4年(1929)4月22日、午前6時函館港を出港した函館市長長谷川藤三郎所有、柿野紹介扱い汽船「豊国丸(ほうこくまる)」(2,343トン、高井甚三船長以下33名)が、函館市西浜町28番地株式会社八木本店の漁夫176人を乗せて、カムチャッカ東海岸アナッターチャーへ向け航行中、襟裳岬にて暗礁に乗り上げ座礁、遭難、沈没。
22日午後8時50分札幌放送局にてSOSを受信、放送を中断して報道した。
78名が死亡、その追悼碑。平成3年に倒壊したが、台座を新しく再建した。


  
 襟裳神社旧鎮座詩跡
襟裳神社は文化十一年(1814)、航海の安全と漁場繁栄を祈願するため、
この地に保食神をお祀りしたのが始まり。現在は市街地に鎮座。


本当の突端に到着です。 

  
    アザラシ、見えません。


戻ります。



こう見ると結構上らなければ。ハァ。






                              つづく