北関東・東北・北海道・上信越 編 ~北へ~(1)1日目①は、→こちら
牧場の中の杜に鎮座します「生馬神社」から見えた建物に着ました。


建築内容
■建物の規格:木造一部二階建・屋根銅板葺
■建坪:378.84平方メートル・延坪:513.35平方メートル
■建築金額:4,939円17銭
■建築年次:明治41年
明治41年に客舎(貴賓舎)として建築に着手され、翌42年に竣工しました。
当時、当牧場(現在の新冠種畜牧場)は創業後既に36年、御料牧場となってから20年を経過しており、宮中御料馬の生産ならびに北海道産馬の改良の本務の他、日露戦役中、陸軍の要望に応えて軍馬の拠出をした当場にとって、皇族をはじめとして斯界の文武にわたる高位高官の士をお迎えする機会は多く、これら貴賓を招じ得るこの種の客舎の要望は極めて強かったがたまたま、翌年に韓国皇太子李艮殿下御臨場の予定されていた事が、この客舎の実現に拍車をかけた様です。こうした使用目的から、当然それに応じた格式が建物の各部各所で取入れられ、他の建造物とは全く趣きを異にした二層の御殿造りが出来上ったのです。これが当時の人々を如何に瞠目せしめたかは、当初「凌雲閣」(りょううんかく)と名付けられたことからも十分想像ができそうです。その後、数多くの名士高官が、ここに足跡を残されました。 特に二代にわたる天皇陛下が、それぞれ皇太子の御時に行啓されております事は、御料牧場とは申せ都から遠く離れた牧場としては稀な事と言えるでしょう。
昭和47年に新冠種畜牧場起業百年事業の一環として老朽化して龍雲閣の修復工事が行われました。工事にあたり内外とも、できる限り64年昔を復元致しましたが、屋根については当時の楢柾葺に復する事ができないことと今後の耐久性から銅板葺となりました。又、今後の龍雲閣は記念館的な性格を持つ事から、階下のうち4室は本来畳敷きであったものを板張りとして、龍雲閣にまつわる、あるいは皇室にまつわるゆかりの品々を陳列してあります。骨組には現在ではなかなか見る事のできない逸材を惜し気なく使っており又、それらの組み方も一種独特の方法が用いられています。
ご皇室・政府高官のご来歴
・韓国皇太子李良殿下
明治42年8月、伊藤博文公爵随従でご臨場、ご視察。
・皇太子殿下(後の大正天皇)
明治44年9月8日御着。4日間の滞在中産馬の改良、
牧場作業全般をご視察。9月11日ご出門。
・東久邇宮稔彦王殿下
大正6年7月ご臨場、牧場事業の実況を台覧に供す。
・皇太子殿下(後の昭和天皇)
大正11年7月20日御着。龍雲閣3日間のご滞在中、放牧馬、
牧場の状況、牧場施設巡覧、各競馬を台覧。7月22日ご出門。
・澄宮(後の三笠宮)崇仁親王殿下
昭和7年8月22日御着。7日間のご滞在中、場内をつぶさに
ご視察の上8月28日ご出門。
・義宮(現常陸宮)正仁親王殿下
昭和28年8月5日御着。学習院高等科第3学年在学中、社会科
見学旅行のためご来場。場内各施設をご視察の上、8月6日ご出門。
・三笠宮寛仁親王殿下、同妃殿下昭和62年12月23日ご来場、龍雲閣をご視察。
・義宮(現常陸宮)正仁親王殿下、昭和28年8月御着
・三笠宮寛仁親王殿下、同妃殿下、昭和62年12月23日御臨場
・高円宮憲仁親王殿下、同妃殿下、平成元年9月21日御臨場
・天皇、皇后両陛下、平成18年9月7日御臨場
・秋篠宮文仁親王殿下、平成26年5月20日御臨場
-桜並木どっとこむ より(一部加筆・修正)
薔薇線(有刺鉄線)に囲まれており近づけず中はわかりませんが、
良い感じの建物でした。

どの角度からも良い感じ。

雨だからか?馬が居ません。
来た道を引き返します。
つづく