~北へ~(224)29日目⑨ 日本100名城 五稜郭Ⅲ | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。


             北関東・東北・北海道・上信越 編 ~北へ~(1)1日目①は、→こちら





復元された函館奉行所の中に入ります。


 式台付き正面玄関
(奉行の交代時など特別な儀式の時に使用される格式の高い所。
 正面の床の間は槍が掛けてあり「槍床」という)

函館奉行所の復元は、昭和58年(1983)頃から函館博物館などに保存され
ている関連資料の調査開始。翌年からは、調査対象を北海道立文書館・
国立国会図書館・東京大学史料編纂所などに広げ、五稜郭全体の平面図絵、
箱館奉行所の庁舎平面図、奉行所の古写真など、五稜郭・箱館奉行所の
築造に関する重要な資料を発見。

       
     廊下                   縁

文献資料の調査と並行して五稜郭内の発掘調査が実施され、良好な
状態で保存されている奉行所の遺構を確認し、文献資料と照らし
合わせることにより、絵図や平面図の正確性の裏付けとしました。


 使者之間
(奉行所を訪れた主人の同行者の控える部屋。
 床の間は弓矢・鉄砲が掛けられており「弓鉄床」といわれた)

そして、パリの骨董店で見つかった手札サイズの古写真が、慶応四年
(明治元年=1868)ころに撮影された箱館奉行所の写真と判明。
屋根瓦の枚数を数えることができる程の解像度の高い写真で、出土した
当時の瓦の大きさと古写真から読み取った瓦の枚数から、奉行所の
正確な大きさを算出し、忠実に復元されています。

         
          用場小用所清所(厠)

箱館奉行所は、かつてと同じ場所に復元されていますので、遺構保護の為、
厚さ25cmのコンクリート耐圧版を敷き、それを基礎としています。

       
    廊下(中)                廊下(縁側内側)

 
 大広間
(奉行所ないで最も格式の高い広間。手前から四之間、参之間、弐之間、
 床の間と違い棚・付書院のある壹之間と4つの部屋がそれぞれ無地の
 襖で仕切られており、畳数は15、21、18、18で合計72畳)


 大広間・壹之間(床の間と違い棚・付書院)


 壹之間のすぐ後ろにある武器置場(8畳)
案内・説明係りの方に往時も畳張りだったのか確認しました。





                              つづく