北関東・東北・北海道・上信越 編 ~北へ~(1)1日目①は、→こちら
青森県護國神社が鎮座します弘前から青森市へやってきました。

明治三十五年に起こった「八甲田山雪中行軍遭難」の資料館を見学します。

幸畑陸軍墓地(幸畑墓苑)ないに建つ資料館です。
(山に近づいたからか?こちらは、雨が降ってました)
先ずは、苑内を周り手を合わせました。


殉國英霊之塔 歩兵第五聯隊顕彰碑


墓標 (山口少佐以下 士官10名)


墓標 (准士官・下士官94名) (准士官・下士官95名)


雪中行軍遭難六十周年記念 宮城懸遭難軍人碑
生存者合同墓碑(11名)

アイヌ犬「八甲ベンケイ」狛犬 遭難凍死者英霊堂


アルシャン駐屯部隊戦没将兵軍馬慰霊之碑 驥心の都路號(軍馬)塚

日清・日露戦争合同葬墓
全ての兵者に敬意を表しますと共に、英霊の御霊に感謝の誠を捧げます。
資料館の中へ(雨も強くなってきました)


正面入口を入ると目の前に大きな銅像が。
後藤伍長銅像(複製)と台座碑文(銅板本物)です。
後藤伍長発見
救援隊は捜索活動を再開した。田代まで進軍し雪中行軍隊と接触しようと、尻込みする案内人を説得して行進した。午前10時半頃、三神少尉率いる小隊が大滝平付近で雪中に佇立する後藤房之助伍長を発見した。後藤伍長本人はこの時のことを「其距離等も詳かに知る能はず、所謂夢中に前進中救護隊の為めに救助せられたるものなり」と述べている。ここで雪中行軍隊が遭難したことが判明した。
発見時の様子については複数の説がある。
1月29日付東奥日報によれば、救援隊が遠目に人らしいものが1~2歩動くのを認めて近付くと、後藤伍長が直立したまま身動きせず目だけをギロギロさせており、大声で呼び掛けると初めて気が付いた様子で言葉を発した。
同紙の1月30日付号外によれば、救援隊に気付いて大声で叫び、気が緩んだのかその場で倒れた。この描写が29日記事の描写に続くものかは不明確。
同年7月23日発行の『遭難始末』によれば、目を開けたまま仮死状態で立っており、近付いて救急処置を施して約10分後に蘇生した。この説は以後『仮死状態で歩哨の如く立っていた』などと喧伝され、後に銅像が建立された。-Wikipediaより

台座碑文は漢文ですので、現代語訳が張られてました。
碑文を読んでいると、通常の事なのか、たまたまなのかは分かりませんが、
資料館の方が色々と説明をして下さいました。 ありがとうございます
では、資料室へ入ります。
最初に遭難の概要をまとめた映像を見ます。(10分位かな)

つづく