~北へ~(187)25日目④ 日本100名城 根城Ⅰ | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。


             北関東・東北・北海道・上信越 編 ~北へ~(1)1日目①は、→こちら





驚きのラーメン屋に続いては、日本100名城 根城です。



根城は、八戸市を流れる馬淵川南岸の河岸段丘上にある5つの曲輪
(本丸・中館・東善寺・岡前舘・沢里館)が連なる連郭式の平山城であり、
南北朝時代の南朝方の武将・南部師行(なんぶもろゆき)が建武元年(1334)に
築城したとされます。



寛永四年(1627)に遠野(現在の岩手県遠野市)へ領地替えにより使われ
なくなるまでの約300年間、根城南部氏(八戸氏)の居城でありました。


  元は根城の門とされる八戸城東門(移築)
    

現在は、館跡の礎石、曲輪、空堀、土塁が遺構として認められ、本丸跡に
安土桃山時代の姿(主殿・中馬屋・工房・鍛冶工房・板倉・納屋・東門)
が復元されてます。


 地図の右手から左手の本丸に向かって登城


 根城想像図(手前が本丸)

 
  東善寺館堀跡 発掘調査によるとV字の空堀で深さは約4m程。




 綺麗に整備された公園(根城の広場)

     
  実のなる木               鑑賞の対象となった木

 
 通路跡
本丸に向かって、右方向(北)にのびる通路跡。
この通路は、堀を埋め戻した上に砂利などを敷いてつくられ、通路は中央部で広がり二手にわかれる。この分岐点から中館側(左手)は、掘立柱建物や溝などに壊されており、通路として使われなくなったことが判明。もう一方の通路は、下町方向にのびると考えられる。通路の発見は、根城では初めての貴重な例。-説明書より





                              つづく