北関東・東北・北海道・上信越 編 ~北へ~(1)1日目①は、→こちら
盛岡城主南部氏が、この地の領有を確定したのは、秀吉の「東北仕置き」に
おいてですが、太閤検地での石高は10万石。その後の農業改良や藩の
努力で、江戸末期には石高20万石にまで増やしたといいます。
その江戸期を南部氏15代で守り抜きます。

盛岡城は、文禄元年(1592)に整地を始め、 慶長3年(1598)築城に着手。
慶長年間(-1615)に総石垣の城としてほぼ完成し、利直は地名を「不来方」
から「盛岡」に改めました。
(南部利直・南部氏第二十七代当主。陸奥盛岡藩の第二代藩主。)


榊山曲輪(西側腰曲輪)への坂道
坂の上には「吹上門」、坂の下には「坂下門」が建っていた。


二の丸石垣(城西側)このあたりが一番高さがあるか。

珍しい上部がせり出した石垣



石垣普請奉行の名が刻まれた石垣
「寶(宝)永二 配歳 九月二日 奉行 野田弥右衛門 川守田弥五兵衛」

登城を開始した櫻山神社に戻ってきました。


素晴らしい石垣群の盛岡城でした。さすが穴太衆。

日本100名城スタンプ
盛岡城(6)
つづく