~北へ~(182)24日目⑦ 盛岡城Ⅳ | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。


             北関東・東北・北海道・上信越 編 ~北へ~(1)1日目①は、→こちら





盛岡城主南部氏が、この地の領有を確定したのは、秀吉の「東北仕置き」に
おいてですが、太閤検地での石高は10万石。その後の農業改良や藩の
努力で、江戸末期には石高20万石にまで増やしたといいます。
その江戸期を南部氏15代で守り抜きます。



盛岡城は、文禄元年(1592)に整地を始め、 慶長3年(1598)築城に着手。
慶長年間(-1615)に総石垣の城としてほぼ完成し、利直は地名を「不来方」
から「盛岡」に改めました。
(南部利直・南部氏第二十七代当主。陸奥盛岡藩の第二代藩主。)

 
 榊山曲輪(西側腰曲輪)への坂道
坂の上には「吹上門」、坂の下には「坂下門」が建っていた。

               


 二の丸石垣(城西側)このあたりが一番高さがあるか。

    
    珍しい上部がせり出した石垣



 
石垣普請奉行の名が刻まれた石垣
「寶(宝)永二 配歳 九月二日 奉行 野田弥右衛門 川守田弥五兵衛」



登城を開始した櫻山神社に戻ってきました。

 


素晴らしい石垣群の盛岡城でした。さすが穴太衆。



     
      日本100名城スタンプ
        盛岡城(6)




                              つづく