北関東・東北・北海道・上信越 編 ~北へ~(1)1日目①は、→こちら
「南部盛岡は日本一の美しい国でござんす。
西に岩手山がそびえ、東には早池峰。北には姫神山。
城下を流れる中津川は北上川に合わさって豊かな流れになり申す。
春には花が咲き乱れ、夏は緑、秋には紅葉。冬ともなりゃあ、
真綿のごとき雪こに、すっぽりとくるまれるのでござんす。」


壬生義士伝「吉村貫一郎」のセリフでお馴染みの南部盛岡。
その中心部、北上川と中津川の合流地に築城された盛岡城に到着。

縄張り北側に位置する「下曲輪(内丸)」より登城します。


先の大戦後につくられた商店の間をぬけ、県道を渡り、三の丸森下曲輪
(御蔵跡・勘定所跡)に鎮座します「櫻山神社」に参拝します。


櫻山神社は、江戸時代中期・寛延二年(1749)に城内淡路丸(本丸東側)に
南部藩初代(南部家二十六代)をお祀りしたのに始まります。

ご祭神は、
南部光行公(南部氏初代)
南部信直公(第二十六代)
南部利直公(第二十七代)
南部利敬公(第三十六代) でございます。

奥州南部氏の始祖、南部三郎光行公は、清和源氏義光流(甲斐源氏)の
加賀美二郎遠光の三男、甲斐巨摩郡富士川西岸の南部郷を領しており、
文治五年(1189)秋の奥州平泉攻撃で、頼朝の本陣に従軍、藤原泰衡軍と
の合戦に功を立て、南部光行公は陸奥国糠部五郡の土地を給されました。
南北朝時代から戦国時代にかけて急速に勢力を伸ばし、豊臣秀吉公から
閉伊郡、和賀郡、稗貫郡の支配も認められると、本拠地である三戸が
領地の北側に大きく偏ることとなったため、本拠地を盛岡に移しました。

鶴亀の手水舎


社号額と拝殿屋根

本殿と烏帽子岩(兜岩)


中々な巨石であります。


南部藩・岩手の守り岩「烏帽子岩(兜岩)」


南部稲荷神社 櫻山神社 御朱印


つづく