~北へ~(177)24日目② 岩手八幡宮Ⅰ(明治大帝聖像・境内社) | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。


             北関東・東北・北海道・上信越 編 ~北へ~(1)1日目①は、→こちら



英霊に感謝の参拝をし、境内社に参拝し、八幡さまに向かいました。

     
明治大帝聖像      

御聖像奉建之詞
謹んで顧うに 明治御維新の大業は洵に今日日本国進展の基礎である
明治天皇御齢16歳にして御即位あそばされ御在位46年常に御躬を以て衆に先んじ聖明親しく國運拓開の萬機を総攬せらる
御聖徳は赫々として日月の如く御聖訓は昭々として萬世を照させ給う
恰も明治9年7月7日東北御巡幸の砌り畏くも
天皇親しく岩手県産馬御台覧の地盛岡八幡宮の境内に御聖像を奉建して永く御聖徳を景仰し奉らんことを希い奉ります   謹白再拝
昭和50年9月10日
 明治大帝聖像奉賛協会 会長 榊原 孝
-碑文より


   
   笠森稲荷神社
 笠森稲荷神社は八幡宮が建てられる前から八幡山の山頂に祀られていました。神さまは宇迦之御魂命で、五穀豊穣・商売繁盛、さらにできものの守り神として、歴代藩主から一般庶民まで広く信仰されていました。一説にはこの付近にすんでいた彌吾郎長者の守り神であったと伝えられていますが、本当かどうかはわかりません。また、全国にあるいずれの笠森稲荷の分社であるかも不明です。現在の地(八幡宮境内)にうつったのは、昭和32年(1957)で、その3年後の昭和35年(1960)9月、笠森稲荷神社崇敬講の人々により現在の社殿が建てられました。できものの守り神としては、徳川家康が瘡病(そうびょう:できもの)で苦しんでいるとき、江戸・谷中の感応寺境内にある笠森稲荷にお祈りしたところ、全快したという伝説が残っています。江戸の笠森稲荷と同じように、昔からできものなどをいやしてくださる神さまとして祈願する風習があったようです。-公式Webより


 
 神明社(お伊勢さん)左
祀られている神さまは天照大神(あまてらすおおみかみ)です。
延暦の昔、坂上田村麻呂が盛岡の仁王に建てたのがはじまりです。元禄時代には煙草丁(現在の明神町)に、その後八幡山にと移されました。明治17年(1884)盛岡の大火により焼失しましたが、昭和43年(1968)明治維新100年を記念して現在の地に祀られました。
 自光坊の先祖が伊勢にご神体をうけて、盛岡の仁王に祀ったという話しが伝えられていたり、神さまを移すときには5尺(約150)くらいの柱を霊代にして、自光坊自ら背負っていったとの言い伝えも残されていますが、本当のことはよく分かりません。
 藩政のころ神明社所属のことで、自光坊と鈴木神職との間で争いが生じました。自光坊が訴訟に勝ち、それから自光坊の力によって神明社が発展してきたそうです。-公式Webより


 梅 宮(安産祈願の社)右
祀られている神さまは酒解神(さかとけのかみ)、酒解子神(さかとけこのかみ)、大若子神(おおわくごのかみ)、小若子神(こわくごのかみ)です。
 寛保元年(1741)、南部23代利視公が人々の子孫繁栄を願って京都梅宮大社の御分霊を祭りました。安産、婦人、醸造の守護神として歴代の藩主から庶民にまで深く信仰を集めてきました。
 旧藩時代、笠森稲荷神社の近くにありましたが、明治時代の盛岡の大火によって焼失してしまいました。それから、その神さまは八幡宮本殿に安置されていました。信仰が厚かった人たちが本殿の建築費を寄進し、大正3年、社殿を現在の地に再建することができました。-公式Webより

 
十二支神社(生れ年守護の社)左
 十二支の生まれ年ごとにひとつずつ守り神があるとする、土着的な民間信仰が元になっています。子年生まれは出雲神社、寅年生まれは八坂神社、亥年生まれは鳩森八幡神社と、十二支の動物が仕える神を祭る神社が、12社並んでいます。1年に1回、自分の生まれ年の神を拝むとよい御加護があると言われています。-公式Webより

大国・恵比寿様 右
  大国様は大国主命(おおくにぬしのみこと)と言います。大きな福袋を肩にかけ、人々に幸福を運び、農耕の神・縁結びの神さまとして庶民に親しまれています。日本の国ができるときに貢献した神さまの中で一番尊い神さまとして敬われ、島根県出雲大社に祭られています。
 右手に釣り竿、左手に大鯛を抱えている姿で知られている恵比寿様は、事代主命(ことしろぬしのみこと)と言います。日本国が創られるとき、「日本国は天孫(てんそん:皇室の先祖)に献上なさるのがよいでしょう」と大国主命に決断させた功績によって一言主神と言われる神さまです。また、海の事に従事されたところから、豊漁の守護神・海の守り神として尊ばれ、さらに海と陸との交流をもたらした商売繁盛の神さまと慕われています。-公式Webより


  
  健康神社
 肺神、肝神、腎神、心神、脾神といった五臓の神のほか、癌神、中風神、健康神、生命神、薬神など、健康にまつわる神々が祀られています。足腰の健康を願って、わらじを奉納していく参拝者もいます。-公式Webより

 
 阿国稲荷神社

盛岡天神社(右奥)
 祀られている神さまは学問の神さまである菅原道真公です。八幡宮が造営される以前からこの地に祭られていましたが、寛文年間藩の命令によって花垣(現在の天神山)へ移されました。毎年、受験シーズンには、合格祈願の参拝者でたいへん賑わっています。昭和60年(1985)社殿を建立し、お祭りしました。-公式Webより


盛岡八幡宮は、広い境内に多くの社がありました。ふぅ~




                              つづく