~北へ~(174)23日目① めし×2・横手城 | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。


             北関東・東北・北海道・上信越 編 ~北へ~(1)1日目①は、→こちら





23日目は「めし」から始めました。

 

昨日、SAの方に教えて頂いた店に向かいます。
 地図まで書いて頂き、本当に有難うございました。

 

しかし、残念ながら休み。
どうするか?地図を眺めていると隣町が「十文字」

   
 名代三角そばや 本店(十文字バイパス、十文字IC近く)

「十文字ラーメン」なるご当地ラーメンを思い出し、車を走らせること10分、
コンビニでお聞きした店、2軒のうち近い方の店です。
着丼。見た目は薄目の東京ラーメン。違いは「青み(レンソウ)」の代わりに
「お麩」がのる。スープを一口。魚が前に出てない和風の出汁。化調+焼干し
+節かな。麺は細ちじれ。腰はあるがウドン?冷や麦?のような麺。
案外旨かったのはメンマ。コリコリの食感だがスジはない。
あっさりした普通のラーメンでした。


 中華そば+トッピングチャーシュー

いま一つ「十文字ラーメン」に納得がいかず、コインランドリーに行くと
終わる頃には腹に余裕が。

 
 丸竹食堂(十文字駅近く)

コンビニで教えて頂いたもう1軒の店へ。
具材は同じだが、スープが先程の店より透明で、たっぷり入っている。
一口啜ると塩味の後に出汁(煮干し+昆布+節かな)煮干しのエグミ
なく中々旨い。麺は極細ちじれ。こちらの麺もカンスイなしか。
スープ、麺に合わせるように具材を「薄く」や「細長く」切っている
あたりは、よく考えられたラーメンでした。


 チャーシューメン

十文字ラーメンを堪能して、向かった先は「横手城」です。



武者溜り曲輪に旅の友・エブリイを停め、まずは二の丸跡へ。


 武者溜り曲輪からの眺め



現在、二の丸跡には模擬天守が建っております。
(愛知県の岡崎城を参考に昭和四十年に施工)


 小野寺氏彰徳碑
小野寺氏(おのでらし)は、出羽国において勢力を誇った豪族である。本姓は藤原氏とされるが守部氏ともいう。家系は秀郷流で山内首藤氏の庶流にあたる。かなり早い時期から多くの分流を生み出し、東北地方を中心に広く分布した。それらの諸家の中でも出羽国仙北三郡に割拠した戦国大名となった仙北小野寺氏の家系がもっとも有名である。-Wikipediaより


 戊辰戦死碑  
慶応4年(1868)、戊辰戦争の際、久保田藩は西軍(薩長連合・倒幕軍)に
与した為、仙台藩、庄内藩、山形藩など奥羽越列藩同盟の兵が攻撃、
横手城には城代の戸村大学をはじめ100余名が籠城するが、8月の
総攻撃にて戸村大学が城を脱出し落城、22名が犠牲者となりました。


 二の丸から武者溜りを見る



横手城は50m程の丘に築城され、3方が横手川、背後に
奥羽山脈が控えた天然の要害を利用した平山城です。

  
   本丸土塁

石垣を設けず、敵兵が登りにくいように韮を植えた事から
「韮城」の別称があります。


 
周囲に腰曲輪が巡らされている本丸には御殿が設けられ、現在は
横手城が廃城になった際の廃材を利用して建立された秋田神社が
鎮座しております。


 拝殿



          



 
 力強い龍の彫刻

      
  本殿


横手公園として整備されてはいますが、各曲輪跡は残っており、
平山城の縄張りを感じ取る事が出来ました。




                              つづく