~北へ~(160)19日目⑩ 陸奥国一之宮 鹽竈神社・志波彦神社Ⅲ | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。


             北関東・東北・北海道・上信越 編 ~北へ~(1)1日目①は、→こちら





奥州藤原氏、仙台藩伊達家などの武家からの崇敬も厚い
「鹽竈神社」に参拝しております。



参拝を終え、境内を見てみました。


 文治の燈籠
文治3年(1187)に和泉三郎忠衝公(藤原)より奉納された鉄燈。
芭蕉もこの前に立ち、
”神前に古き宝灯あり。鉄の扉の面に「文治三年和泉三郎寄進」とり。五百年来の俤、今目の前に浮かび手て、そぞろに珍し。
かれは勇義忠孝の士なり。佳名令に至りて慕はずといふことなし。まことに「人よく道を勤め、義を守るべし。名もまたこれに従ふ」といへり。”

と奥の細道に綴りました。

  
   撫で牛

         
長明燈(左)
 仙台藩御用の米商人大阪升屋山方重芳の寄進である。重芳を育てた番頭山片蟠桃は「夢之代」を著し、近代合理主義の先駆となった大学者で、差米検査を無料で引き受ける代わりに、抜いた米をもらい、米札藩札で米を買い上げ、現金は大阪で利を生ませる妙策を用い、藩の財政危機を救った。共和3年(1803)御影石で作り、大阪から大船で運んできたこの大燈籠は、当時の升屋の全盛を偲ばせる。-説明書より
銅鐵合製燈籠(右)
 文化6年(1809)伊達9代藩主・周宗公が蝦夷地警護の凱旋ののち奉賽として寄進した燈籠。製作には仙台の鋳物師早井義幹・大出治具・田中清直のほか、田茂山(岩手県奥州市)の及川庄七らも棟梁として関わったとされる。塩竃市指定文化財-説明書より

 

   
 奉納額


     
       陸奥国一之宮 鹽竈神社
                志波彦神社 御朱印


東神門をぬけ、お隣に鎮座します「志波彦神社」へ向かいます。






                              つづく