北関東・東北・北海道・上信越 編 ~北へ~(1)1日目①は、→こちら
仙台市をあとにし、多賀城市にやってきました。

こちらでの標的は、日本三大古碑の「多賀城碑」と
日本100名城「多賀城」です。
まずは、「多賀城埋蔵文化センター」にて情報収集。

立派な建物、立派な資料で少しビックリ。
係の方に「ラーメン」情報も聞き、向かいます。

らー麺 味噌やす(国道45号多賀城駅近く)
センターの人にお聞きした店。
化調は多めだが、味のしっかりした本道を行ってるスープ。
多加水薄黄色麺は少し粉っぽいが、スープにはよく合っている
これまた本道です。大判だが薄目のチャーシューもホロホロで
なかなか旨いし、上に乗る茹で野菜(モヤシ中心玉ねぎ少々)
の上のシラガ葱もアクセントとなり良かった。メンマは恐らく
市販の物で可もなく不可もない。
家の近くにあって「今日は味噌」の気分なら行っちゃうな。

コク味噌ラーメン
お腹も落ち着き、たどり着いた先は、


多賀城址(多賀城碑)です。

埋蔵文化センターで頂いた地図を片手に登城開始。

各所に想像図入りの解説・案内板が設置されており、
現場で想像力を働かせ易いです。

これなら構造物がなくても楽しめると思います。


登城初めて程なく、日本三大古碑の「多賀城碑」がありました。

覆屋

重要文化財 多賀城碑
上部に「西」の一字があり、その下、細い線で囲んだ中に11行、140字が刻まれています。碑文内容は大きく2つに分かれ、前半は、京(平城京)などから多賀城までの距離が記されています。当時の一里は約535mです。後半には、神亀元年(724)、大野朝臣東人(おおののあそんあずまひと)が多賀城を設置したこと、天平宝字6年(762)、藤原恵美朝臣朝獦(ふじわらのえみのあそんあさかり)が多賀城を修造したことが記され、最後の行に碑を建てた年月日が刻まれています。
碑は歌枕「壺碑」(つぼのいしぶみ)としても有名で、元禄2年(1689)、松尾芭蕉は「おくのほそ道」の旅の途中、碑と対面し、そのときの感動を紀行文『おくのほそ道』に書き残しています。
また多賀城碑は、那須国造碑(栃木県大田原市)、多胡碑(群馬県高崎市)とともに、日本三古碑のひとつに数えられています。
多賀城と古代東北の解明にとって重要な記載があり、また、数少ない奈良時代の金石文として貴重であることから、平成10年6月30日、国の重要文化財(古文書)に指定されました。
平成23年2月 多賀城市教育委員会
寸法 高さ196cm 最大幅96cm 厚さ70cm
石材 花崗質砂岩 -説明書より


碑文
西
多賀城
去京一千五百里
去蝦夷國界一百廿里
去常陸國界四百十二里
去下野國界二百七十四里
去靺鞨國界三千里
此城神龜元年歳次甲子按察使兼鎭守將
軍從四位上勳四等大野朝臣東人之所置
也天平寶字六年歳次壬寅參議東海東山
節度使從四位上仁部省卿兼按察使鎭守
將軍藤原惠美朝臣朝獦修造也
天平寶字六年十二月一日
学がないので、詳しい事はわからないが、約1200年も前に造られた
石碑が見られるという感動。他の古碑(那須国造碑、多胡碑)を
見た時と同様、何とも言えない凄さを感じました。

車道を横切り、登城を続けます。
つづく