~北へ~(150)18日目⑨ 日本100名城 山形城Ⅴ・旧済生館本館 | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。


             北関東・東北・北海道・上信越 編 ~北へ~(1)1日目①は、→こちら





山形城址の散策を終え、「黄緑色の花を咲かす桜」の話をしてくれた地元の
方お奨めの「旧済生館本館(郷土資料館)」を観に城址南東へ。

     

国指定重要文化財
  旧済生館本館
              (昭和四十一年十二月五日指定)
本館は、明治十一年(一八七八)、山形城三の丸の七日町大手門を入ったところに、初代県令三島通庸によって県立病院として建てられ、人々から「三層楼」と呼ばれ親しまれてきました。
鹿児島出身の原口祐之が大工棟梁となり、山形の宮大工たちがたった七ヶ月で完成させました。広い中庭と回廊をもつ、三層四階、高さ二十四メートルの見事な洋風建築です。
当時の太政大臣三条実美が、この病院を「済生館」と命名しました。二階講堂にその時の御真筆の額が飾られており、正面の金文字の額はこれを木彫りにしたものです。
三島県令は、オーストリア人のアルブレヒト・フォン・ローレツを医学寮の教頭として招き、西洋医学の教育と診療を実施しました。この病院と医学校は東北地方におけるドイツ医学のメッカとなりました。
明治初期の擬洋風建築の傑作として、昭和四十一年(一九六六)に国指定の重要文化財となり、昭和四十四年に現在地に解体復原されました。
現在、この建物は「山形市郷土館」として、医学資料を中心に、郷土資料が展示され、一般に公開されています。
        平成十七年十一月
                  山形市教育委員会



      

ドーム型の屋根。ステンドグラスを使用しテラスがある。
複雑な形状の洋風の建物です。

 

見る角度により、違った表情が良いですね。

      
            背面(回廊)から見た三層楼

          

     
               中庭も良い感じです。



14角形の回廊から見る中庭。

 

活花と同じで、どこから見ても素晴らしい。

 








現在、復元を進めている山形城。一文字門が復元されたら
また訪れたいなぁ。と思いながら旅泊地へ向かいます。


 

山形の町中から山道へ。

   



本日の旅泊地・菅生PA 車中泊


  




第18日目終了

本日の走行距離 159km




                              つづく