北関東・東北・北海道・上信越 編 ~北へ~(1)1日目①は、→こちら
二本松少年隊の像から石段をあがって復元された箕輪門へ。

箕輪門
箕輪門は二本松城=霞が城の正門にあたり 江戸初期城主丹羽光重の建造である。
城下箕輪村山中にあった樫の大木を主材としたのでこの名がある。
聳え立つ石垣と累々たる城壁城門は十万石大名の威容を示していた。
戊辰戦争によって灰燼と帰したが再建の声高まり年余の歳月と二億円を投じて昭和五十七年八月に完成をみた。-二本松市

二階櫓、櫓門、多門櫓で構成される箕輪門。


櫓門の屋根より石垣が高いという珍しい構造です。

城内側から見た箕輪門(復元)

箕輪門をぬけると、緩やかな上り坂で、左に2回折れ、三の丸へと向かいます。


三の丸は2段となっていました。


三ノ丸下段の周囲は復元された土塀で囲まれています。
その土塀の狭間から箕輪門を見る。

ここで、毎年10月~11月に二本松菊人形展が開催されるようである。

三の丸下段


三の丸上段

三の丸上段の西側にある「霞池」上に「洗心亭」が見えます。

洗心亭まで上ってきました。

洗心亭
元は城内の庭園に複数あった茶室の一つ「墨絵の茶屋」です。
天保八年(1837)の山崩れで、壊れたため、阿武隈川河畔に移築し、
丹羽藩主の釣茶屋として利用されました。
明治に入り、この地に再度移築し「洗心亭」と名づけられました。

城郭由来の唯一の建造物です。

つづく