~北へ~(121)14日目⑦ 日本100名城 鶴ヶ城(会津若松城)Ⅶ | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。


             北関東・東北・北海道・上信越 編 ~北へ~(1)1日目①は、→こちら





本丸南側の土塁の上を歩き、茶室 麟閣にやってきました。


 茶室
麟 閣 【福島県指定重要文化財】
天正十九年 茶道の祖・千利休は、豊臣秀吉の怒りに触れ、死を命じられました。
その時の会津領主・蒲生氏郷が、利休の茶道が途絶えるのを惜しんで、その子少庵を会津にかくまい、徳川家康とともに千家復興を秀吉に願い出ました。
その結果、少庵は京都に帰って千家を再興し、宗左、宗室、宗守の三人の孫によって、表、裏、武者小路の三千家が興され、今日の茶道の基礎が築かれました。
この少庵が会津にかくまわれている間、蒲生氏郷の為に造ったと伝えられています。
江戸時代の初期から中期にかけて現在の様式に改められたと考えられる茶室です。
戊辰戦争の後、城下へ移築されていましたが、平成二年に建造当初の地に移築・復元されました。-案内板より


       
 裏千家ご当主の扁額がかかげられている麟閣表門



  
 寄付

 
 中門

       
        腰掛待合


    茶室

    

日本家屋の美。

      


麟閣を出て、本丸→旧表門→二の丸を通り若松城をあとにしました。



            

    
  一部で話題のハートの石垣    会津戦争時の弾痕



      
  日本100名城スタンプ           登閣(城)記念印
   会津若松城 (12)



              




                              つづく