北関東・東北・北海道・上信越 編 ~北へ~(1)1日目①は、→こちら
層塔型5重5階(RC造 昭和40年外観復興)の天守を降りて、
木造復元(平成13年)された走長屋(多聞櫓)・干飯櫓へ。


鉄門から大手道、天守を見る


木造復元された走長屋内部

走長屋から鉄門本丸側を見る

南走長屋にある天守への表玄関(見学順路の入口は裏玄関)


「石落とし」と「鉄砲狭間」 人形が居てわかりやすい


干飯櫓への階段と干飯櫓ないの階段

ドラマで使われた大道具(他にも衣装などの展示がありました)
「明日の夜は 何国の誰か ながむらん
なれし御城に 残す月影」
再び、本丸(御殿跡)に出て「茶室 麟閣」へ向かいます。


馬洗い石と本丸南側の土塁
本丸南側土手裏に藩主が馬術を稽古するための馬場があった。この石は、馬の口洗いのために用いられたと伝えられている-案内板より


南側の土塁と塀の礎石


月見櫓
この櫓には常に武器が納められていた。また、櫓にかかる月が一際美しかったことからこのような名で呼ばれた。役割としては城下南方の物見櫓、また内濠から続く本丸南側の石垣の横矢掛としても重要な櫓だった。-案内板より



茶壺櫓
この櫓の下には、茶室麟閣があり、櫓内には主に貴重な茶器類が納められていたためこの名がある。茶壺櫓は廊下橋の側面の守りとしても重要な櫓である。廊下橋両側の石垣は高さ約20メートルと城内で最も美しい石積みである。-案内板より


御三階跡(おさんかいあと)
ここには本丸唯一の高楼建築「御三階」がありました。
藩主の御休息の間のすぐ背後に位置し、限られた人しか近づけなかったと考えられます。
戊辰戦争(1868)でも焼失することはありませんでしたが、戦いの後、戦闘によって本堂を失った市内の阿弥陀寺へ建物は移築されました。
大正年間に城跡公園として整備が始まってからも、建物のあった石垣は残り、会津若松市としては将来、再び往時のような姿でよみがえらせることも含めて、城跡全体の整備計画の中で検討しているところです。
現在は、石垣が積まれたところやその周囲の地面の中に、むかしのことを知る手がかりがあるかもしれないとして発掘調査が行われています。-案内板より

つづく