北関東・東北・北海道・上信越 編 ~北へ~(1)1日目①は、→こちら
境内社にも参拝します。


愛宕福神水 愛宕社に続く石段


石段途中の石鳥居 愛宕神社覆屋

愛宕神社


見立神社
第三十四代舒明天皇の御代(630年)、狩野三郎行広は、矢傷の白鹿を追って山中に迷い込み、神の御教により温泉を発見し神社を創建、温泉の神を祀り崇敬の誠を尽くした。狩野三郎行広は後年那須温泉開発の祖として見立神社祭神として祀られる。 -案内板より

九尾稲荷大明神
(殺生石に化けたあの九尾の狐を祀る神社)

琴平神社、神明宮、山神社
我が先祖も祀られております。



他にも見所があります。

御神木「生きる」
このミズナラは悠久の時を経て直、樹勢、旺盛にして力強く
「生きる」と命名されております。
活力、蘇生力、生命力等のパワーが授けられる巨木として
崇められております。-案内板より

那須の名木・那須の五葉松
推定樹齢 800年
幹回り 170cm 樹高 12m


芭蕉の句碑(徳川氏の奥八城太郎弘賢(屋代弘賢)書)
「湯をむすぶ誓いも同じ岩清水」

水琴窟

那須温泉開湯千三百七十年記念碑

温泉神社から見た殺生石(木道手前側の粒々は沢山のお地蔵さま)
殺生石(せっしょうせき)とは、那須湯本温泉付近にある溶岩であり、付近一帯は有毒ガスがたえず噴出しており、「鳥獣がこれに近づけばその命を奪う、殺生の石」として古くから知られております。
伝説として伝わる話では、鳥羽上皇の頃に大陸から渡って来た八百歳の妖狐・九尾の狐が「玉藻前」と名乗り、朝廷に出入りしていたが、陰陽師・安倍泰成に、その正体を見破られ、姿(白面金毛九尾の狐)をあらわし那須野ヶ原へと逃げた。しかし、追手の三浦介、上総介、他数万の軍勢によって殺害され石となる。すると今度は有毒ガスを噴出して人畜に害を与えるようになった。
その後、至徳二年(1385)に玄翁和尚によってその恨みを封じられ、粉々に打ち砕かれ、そのかけらが全国3ヶ所の高田と呼ばれる地に飛散したという。

延喜式内 温泉神社 御朱印
つづく