~北へ~(102)12日目② 那須温泉神社Ⅱ | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。


             北関東・東北・北海道・上信越 編 ~北へ~(1)1日目①は、→こちら





三之鳥居をくぐり、石段を上がると社殿です。

       


       

   
 手水舎   

創建
第三十四代舒明天皇の御代、湯本より南方約八キロメートルの茗荷沢村の住人、狩ノ三郎行広は、小牛ほどの白鹿を追い求め矢傷を負わせてなおも追い続けて雪不尽山(那須岳)の麓、霧生谷(元湯付近)に至った。
濃霧に包まれ白鹿を見失い呆然として佇んでいるとき、岩上に白髪の老翁あらわれ、
「吾は温泉の神なり、汝の求める鹿はかの谷間の温泉に浴しておれり,その温泉は万病をなおして甚だ効あり。鹿の浴するも手負いを癒さんがためなり、汝よろしく之を聞きて万民の病苦を救うべし」 と言い終わりて消え去る。三郎白鹿を射止め、温泉を発見して神社を建立し歳時の祭礼怠りなく崇敬の誠をつくしたと言う。これが本神社の創建である。-那須温泉神社Webより
           


 拝殿


 拝殿ない

    
 社号額                   本殿


 昭和天皇御製 
 「空晴れて ふりさけみれば 那須岳は さやけくそびゆ 高原のうへ」
  (昭和六十四年 歌会始「晴」のためにご準備された御製)
 香淳皇后御歌 
 「見わたせば広野がすゑは山につづく君がめでます那須の草原」
  (昭和三十八年 歌会始「草原」)


     
 御幣を立てた神馬像      摂政宮殿下(昭和天皇)御手植えの五葉松









                               つづく