~北へ~(75)9日目⑦ 日本100名城 足利氏館(鑁阿寺)Ⅱ | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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日本100名城の一つ、 足利氏館(鑁阿寺)に来ております。

        

歴史ある足利氏館跡ですが、寺院としては、鎌倉時代初期、建久7年(1196)
足利氏二代目の足利義兼が発心得度し、邸宅内に持仏堂を建てたのが
始まりとされます。


では、南側にあたる山門(仁王門)から鑁阿寺境内に入ります。

 
  山門(仁王門)
概要:鑁阿寺山門は建久7年(1196)び足利義兼によって建立したのが始まりとされます。現在の山門は室町時代の兵火で焼失後の永禄7年(1564)に13代将軍足利義輝が再建したものです。山門は八脚門楼門で三間一戸、入母屋、瓦葺き、2層目には高欄が廻り、両脇には仁王像(鎌倉時代に運慶により彫り込んだと伝えられています。阿形、吽形共に栃木県指定重要文化財)が安置されています。華美な彫刻や極彩色など廃した質実剛健的な建物で鑁阿寺の正門として規模と格式をもつ重厚な印象を与えてくれます。鑁阿寺山門は室町時代後期に建てられた楼門建築の遺構として貴重な事から昭和56年(1981)に栃木県指定重要文化財に指定されています。

     

弘法大師像の後ろには、重要文化財である「鐘楼」が建っております。

        
   鐘楼
概要:鑁阿寺鐘楼は建久7年(1192)足利義兼が建立し鎌倉時代後期に再建されたと推定される建物です。形状は桁行3間、梁間2間、入母屋、本瓦葺きで1層目には袴腰が付いていて和様、唐様折衷。2層目には高欄が廻され、2重垂木や組物などにも格式を感じます。鎌倉時代に建てられた数少ない鐘楼建築の遺構で当時の建築の特色が見られる大変貴重な建物として明治41年(1908)に旧国宝に指定され昭和26年(1951)に国指定重要文化財に指定されています。

そして、弘法大師像の前には「多宝堂」と「大銀杏」がございます。

  
 多宝堂
概要:多宝塔(桁行3間、梁間3間、高さ約20m、銅板葺瓦棒)は元禄5年(1692)5代将軍徳川綱吉の生母桂昌院が寄進再建された建物です(相輪の宝珠は寛永6年(1629)のもので再利用されています。)。徳川家は源氏の流れ(幕府を開く際、源氏の血筋を名乗り正当性を誇示する為、家系図を改ざんした説が有力)を汲むと称していた事から内部には足利家の大位牌と共に徳川家歴代将軍の位牌が安置され、本尊金剛界大日如来坐像(栃木県指定重要文化財)、前仏勢至菩薩像、両側に十六羅漢像が安置されています。木造の多宝塔としては栃木県内唯一、又、日本最大級に多宝塔として貴重な事から昭和41年(1966)に栃木県指定重要文化財に指定されています。

        
      大銀杏(天然記念物・高さは約30m・樹齢約550年)


本堂正面に戻り、手を合わせます。

  
   本堂(正安元年(1299)再建・永享4年(1432)本瓦葺きに改修)

   

義兼死後、その子義氏が建立した本堂ですが、寛喜元年(1229)
落雷により焼失してしまい、足利貞氏が禅宗様式を取り入れ改修。
日本おける禅宗様式への転換期の最初期にあたります。

 

 本堂
概要:桁行5間、梁間5間、入母屋、瓦葺きで正面、背面共に唐破風向拝が付いています。内部には3間の内陣があり元禄年間(1688~1704)に建立された観音壇厨子(一間社、入母屋、妻入、正面唐破風、極彩色、足利市指定文化財)が設置され大日如来像(鎌倉時代後期作、栃木県指定重要文化財)が安置されています。様式は鎌倉時代初期の禅宗様で唐様と和様の折衷とするなど鎌倉時代の代表的な寺院建築として明治41年(1908)に国宝に指定され戦後法令の改正で国指定重要文化財に、平成25年(2013)に国宝に指定されています。

  

本堂に向かって左手には「不動堂」がございました。

    
  不動堂
概要:不動堂は中御堂とも呼ばれ当初は足利義兼が建立したそうですが現在の建物は文禄元年(1592)生実御所国朝が再建したものです。以前は本堂と廊下で繋がり護摩堂として利用されていましたが昭和44年(1969)に改修され現在のような形となりました。入母屋、本瓦葺き、桁行3間、梁間2間、正面には一間の向拝が付き右側には足利氏が使用したという800年前の古井戸があります。本尊は不動明王像(平安時代作、像高88.1cm、足利市指定文化財)で興教大師が彫り込んだ像を成田山(千葉県成田市)から勧請してきたものと伝えられています。鑁阿寺不動堂は室町時代末期の寺院建築の遺構として貴重なことから足利市指定文化財に指定されています。


 経堂
概要:鑁阿寺経堂は創建当初、足利義兼が正妻の供養の為一切経会の道場として建てられました。現在の経堂は応永14年(1407)に当時の関東管領である足利満兼が再建し江戸時代初期に改修されたもので桁行1間、梁間1間、宝形造、本瓦葺、一重もこし付(外観は桁行5間、梁間5間に見えますが中心部の1間四方が内部でそこから2間分四方が外部という扱いになっているようです。)、内部には宝永年間(1704~1710)に改修された八角輪蔵が設置され2千余巻の一切経を保管しています。外壁側には江戸時代の仏師朝雲が彫り込んだと伝える木造足利歴代将軍坐像(15体、檜材、寄木造、栃木県指定重要文化財)が安置され、承応3年(1654)に月谷村田島藤兵衛が奉納された絵馬(外国船の図、縦81cm、横124cm、足利市指定文化財)と新井勝房が描いた絵馬(銘酒玉の井繁昌の図、縦91cm、横153cm、足利市指定文化財)が掲げられています。






                              つづく