~北へ~(69)9日目① 日本100名城 新田金山城Ⅰ | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。


             北関東・東北・北海道・上信越 編 ~北へ~(1)1日目①は、→こちら





9日目、小雨混じりですが元気に「新田金山城」登城から始めます。

          

新田金山城(別名:金山城、太田金山城)は、標高235.8メートルの
独立峰、金山に築かれた山城で、東西3.1km、南北3.8kmという国内
最大規模の縄張りを持ちます。



金山城といえば石垣。それも本格的な石垣を用いた城として有名です。

          

金山城の発掘がされるまでは、中世の関東には西の近世城郭のような
石垣はないとされていました。しかし、崩れかけの石垣の復元が進むと、
その常識は間違っていた事が明らかになったのです。

    

文明元年(1469) 新田一族である岩松家純によって築城。以後、
城主は享禄元年(1528)に、由良成繁・国繁親子、天正12年(1584)には
後北条氏と変わります。
上杉謙信公も五度、この城を攻めましたが落とす事はできませんでした。
しかし、天正18年(1590) 豊臣秀吉公の小田原征伐の際、攻撃を受けて
落城、こののち廃城となりました。

      

昭和9年(1934)に「金山城跡」として国の史跡に指定され、現在は、
いくつかの遺構をもとに、公園として整備されています。

       

初めて訪れましたが、それぞれの遺構ごとに玄人うけしそうな
細かい解説板が設置されており、大変ためになります。
 果たしてどの位の人が全部を読んでいるのだろうか。

               

説明板には、イラストも入ってますので当時の様子を想像しやすく
つい立ち止まってしまうので中々先に進めません。



ここでまた堀切が横切っており進路を断ち切っております。

      
 
左手は岩盤を削った堀切、右手はかなり深い谷にまで続いております。



土(石)橋にて堀切を渡ると「石垣」があり、門があったと考えられてます。
よく見ると土橋と石垣の間の通路は筋違いになっており、真っ直ぐに
進めないつくりになってます。



                              つづく