北関東・東北・北海道・上信越 編 ~北へ~(1)1日目①は、→こちら
日本100名城の一つ、箕輪城にやって着ました。


箕輪城は在原業平の子孫とされている長野業尚によって築かれた城
(平山城)で、長野業尚(築城)
→武田氏攻略後は、家臣・甘利昌忠、真田幸隆(幸綱)、浅利信種、
内藤昌豊、内藤昌月
→武田氏滅亡後は、織田氏家臣・滝川一益
→織田信長公没後に北条氏攻略、北条氏邦
→北条氏滅亡後、徳川家康公、関東入封し、家臣・井伊直政
とゆうようにたびたび城主が変わりました。

直政は箕輪城を近代城郭に改造したものの、慶長3年(1598年)高崎城に
移封され、それに伴って箕輪城は廃城となりました。


では、虎韜門(ことうもん)・井伊氏時代の大手口、
長野氏時代の搦手から登城いたします。






関東の城ですので、石垣は少なく、ほとんどが土塁と堀で防御しています。

三の丸門跡と石垣
つづら折りの小道を上ると、

三の丸(奥の一段高くなっている所は蔵屋敷跡)
更に進むと浅い堀に突き当り、左右に道は分かれます。

右に進むと、左手に二の丸、右手は大堀切です。


大堀切と土橋(左奥が郭馬出曲輪)
大堀切の底に下りてみました。




土橋跡(左奥)と復元中の「郭馬出西虎口門(櫓門)」
(他に「本丸西虎口門(高麗門)」の復元が計画されているようです)
つづく