~北へ~(59)7日目④ 上野国一宮・一之宮貫前神社Ⅰ | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

          北関東・東北・北海道・上信越 編 ~北へ~(1)1日目①は、→こちら





妙義神社参拝に続き訪れたのは、上野國一宮「一之宮貫前神社」です。

               

群馬県富岡市、鏑川左岸の河岸段丘上に鎮座します貫前神社は、
古代には朝廷から、中世以降は武家からも崇敬されました。

           

               



 御祭神は、
経津主神 (ふつぬしのかみ)-物部氏の祖神
姫大神 (ひめおおかみ)-綾女庄(当地の古い呼称)の養蚕機織の神
 一宮巡詣記では、
(本尊)稚日女尊
(相殿)経津主命 と、なっております。
ちなみに、ご本殿の千木は、内削ぎ(女神の特徴)となっていました。

   
 貫前神社唐銅製燈籠
総門前の貫前神社唐銅製燈籠(からがねせいとうろう)は高さ約395センチメートルの一対の銅製燈籠で、慶応元年(1865年)に製作され、慶応2年にここに建てられました。
燈籠の基礎部と竿部の間に、燈籠建立の際の献納者名・居住地、献納額が二段に刻まれています。献納者の人数は合計で1544名、献納額は総額4790両にものぼり、地元の養蚕家以外にも各地の生糸・絹商人が献納したことが分かります。7年後に開業した富岡製糸工場の先駆的記念碑ともいえる貴重な文化財として富岡市の重要文化財に指定されています。-案内板より


        

境内は正面参道からいったん坂、石段を上がり、総門をくぐったところから
石段を下ると社殿があるという、所謂「下り宮」と呼ばれる配置となってます。

 総門(惣門)

    
  総門(惣門)参拝時は修理中でした。

  
  回廊をもつ楼門

         







                               つづく