北関東・東北・北海道・上信越 編 ~北へ~(1)1日目①は、→こちら
国宝 松本城の現存天守ないを観ています。


狭間と石落とし


壁の構造


鯱(しゃちほこ)
大天守二階に上がります。


天守二階の東・南・西側と四階の東と西側は柱間に5本の竪格子をはめた武者窓である。
格子は4寸から4寸5分(12cm~13.5cm)の角材を用い、上下の框も大きい。
内側から武者窓を見ると、外光を遮さえぎる明暗の縦縞が大変美しい。
なかでもこの窓が五連あるいは三連の二階南側と東側は城らしく豪壮な感じを受ける。
なお、外側は上部に蝶番ちょうづがいのついた突上戸つきあげどで風雨を防いでいる。-説明板より

天守二階の母屋の中の柱間(京間寸法)は東西7間、南北6間で、柱に残る小舞穴の痕跡から、この階は8室に部屋割りされていたことが分る。
武者窓(竪格子たてごうし窓)からの明かりも多く、有事には武者達の営所に当てることができた。-説明板より


松本城天守は、我が国へ天文12年(1543)に初めて火縄銃が伝わってから、50年後の文禄2年から3年(1593~94)にかけて築造された。
天守の厚い塗りごめの壁や鉄砲を撃つための数多くの狭間などは、火縄銃の攻防を予想して築かれたものである。
松本市出身の故 赤羽通重氏は、か代子夫人とともに一生涯をかけて、数多くの鉄砲・装備品・文書類などを収集された。
赤羽氏はこの貴重なコレクションを鉄砲戦を想定して築造された松本城に展示することは意義が深いと考えられ、鉄砲141挺をはじめ数多くの装備品や文書類を松本市に寄贈された。
松本市では、平成3年4月に「松本城鉄砲蔵」を開設し、さらに質・量ともに充実した赤羽コレクションを、平成11年3月に松本城天守二階と松本市立博物館とに分けて展示した。
松本城天守には火縄銃の種類や製銃地などを、また松本市立博物館には武器を歴史の流れにそって位置づけて展示してある。-説明板より


大天守二階 武者走り
少し広くなった階段を上がると5層6階の大天守の三階です。


この階は天守二重の屋根裏に設けられているので窓が全くない。
明かりは南側千鳥破風の木連格子からわずかに入るだけである。
そのため当時は「暗闇重」と呼ばれていた。
外部からの遮しゃへいが強いので有事には「武者溜たまり」に当てる、との説もあるが普段は倉庫であった。
この階から四階への階段は対角線の位置に2箇所ある。-説明板より

つづく