~北へ~(20)3日目② 日本100名城・小諸城Ⅱ | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。


     北関東・東北・北海道・上信越 編 ~北へ~(1)1日目①は、→こちら


長野県にある小諸城(別名、酔月城、穴城、白鶴城)に来ています。

現存(江戸初期の慶長17年(1612年))の大手門を通り抜け、地下道をぬけ、
小諸城、もう一つの現存構造物・三の門(1765年に再建)に。


(「懐古園」の扁額は、徳川家達の揮毫)

三の門は1615年に建造されたが、1742年に洪水によって崩壊。
現存する三の門は明和2年(1765)に再建されたものです。

 
 説明板              くぐり戸


三の門(内側)

 
三の門の横の建つ 
 牧野(康哉)公遺徳碑       徳川秀忠公 憩石


案内図で城内を確認し、有料区画(小諸城址懐古園)に入ります。


各曲輪を隔てる数本の谷が確認できます。


石垣の説明板
(明治四年に北国街道整備の際に城の石垣は、端縁石に使用されたが、
 昭和59年に大きめの石にて復元)

 大手門から下ってきましたが、三の門からは緩やかに上ってます。

  
  二の丸石垣(右手)


程なく、二の門跡に。




二の門基石


右手に折れて二の丸に上がってみます。





二の丸
(関ヶ原の戦い時、中山道を進む徳川秀忠が陣を構えました)


二の丸をおりると緩やかな下りになります。


(城下より城の奥に向かうに従い標高が下がるという構造で
 穴城と称される由縁です)


             
                           つづく